これは 人工知能アドベントカレンダー の3日目の記事です。
ニューロン(Neuron) または神経細胞は、脳を構成する最小単位であり、端的には信号を受け取り、別のニューロンへまた送っていくという役割をしています。
機械学習のニューラルネットワークとよばれる分野では、ニューロンの振る舞いを思い切り簡略化したものが使われますが、実際のニューロンは非常に複雑な振る舞いをします。
ここでは、ニューロンの概要について見ていきましょう。
生理学的な概略
ニューロンは、他のニューロンからの信号を受ける樹状突起(dendrite)と、他のニューロンに信号を送る軸索(axon) があります*1。
神経細胞の概要図
見てお分かりのとおり、入力である樹状突起は細胞体から何本も枝分かれしていますが、出力である軸索は1つしかありません。もっとも、その軸索も枝分かれしていくつかの細胞へ同時に信号を送ることもあります。
入力刺激が入ってくると、活動電位が発生し、電気信号が軸索を伝わっていきます。これがニューロンの基本的な動きです。
また、伸びていった軸索は他の細胞の樹状突起と直接融合するように接続するわけではなく、シナプス間隙(synaptic cleft)が存在しており、この間は電気的ではなく化学的に信号をやり取りします。
ニューロンの発火
通常、ニューロンの細胞内の電位は、細胞外と比べると70mV程度低くなっています。この電位差を膜電位といいますが、樹状突起からある程度の入力があると、膜電位が変化します。
この変化には緩電位と活動電位がありますが、他のニューロンに信号を送るのは活動電位です。活動電位の変化は非常に急激で、1ms程度の間に数十mVほど上がりまたすぐに下がるという挙動をします。これらの挙動は、主にナトリウムイオンとカリウムイオンが、細胞内のイオンチャンネルを通じて内外とやりとりされることで行われます。
以下が活動電位の変化を説明したものです。
神経細胞の活動電位
膜電位はふだんは-70mV程度に保たれています(静止膜電位, Resting Membrane Potential)ここに他のニューロンからの入力があると膜電位が上昇しますが、閾電位(threshold of excitation) に達しなければまたすぐに減衰して、静止膜電位に戻ります(A)。
閾電位を超えるような入力があった場合は、閾電位を超えた瞬間に突然膜電位が急上昇します。これを脱分極、あるいはニューロンの発火といいます(B)。急激に上がったあと急激に下がるので、これをスパイク(spike)ともいいます。
ある程度(30mV程度)になると、ピークを迎え、今度は電位が下がり、静止膜電位を下回ります。これを過分極といい、特に静止膜電位よりも膜電位が下がった状態をアンダーシュート(Undershoots)といいます(C)。
過分極を迎えたニューロンは、入力があってもまったく反応しなくなる、不応期という状態になります(D)。ここから再び電位がすこしずつ上昇し、やがてもとの静止膜電位に戻ります(E)。
ニューロンのモデル
ニューロンの活動電位を表現する代表的なモデルとして、ホジキン・ハクスレーモデル*4と、それを簡略化したフィッツフュー・南雲モデルがあります。
ホジキン・ハクスレーモデル(Hodgkin-Huxley model)
ホジキン・ハクスレーモデル(ホジキン・ハクスレー方程式)は、 Alan Lloyd Hodgkin と Andrew Fielding Huxley がヤリイカ(Loligo pealei) *5の神経軸索を対象に活動電位を詳細に調査し、神経細胞膜の性質を方程式にまとめました*6。
Hodgkin(左) と Huxley(右) (Public Domain)
Cは膜容量、Kは膜電位、m,hがNaチャンネルの活性化変数、kがKチャンネルの活性化変数を表していますが、ここでは数式そのものには踏み込みません。また、これを大幅に簡略化したフィッツフュー・南雲モデル (FitzHugh-Nagumo model)も有名です。こちらは生理学的な意味はかなり薄れてしまっていますが、簡単に挙動を再現できるのでよく使われます。
シナプスの可塑性
神経細胞から出た電気信号は軸索を伝わっていきますが、電子回路のようにそのまま直接別の神経細胞の樹状突起を通っていくわけではありません。シナプスでは神経伝達物質をやりとりするので、ここは化学的な方法で情報が伝わっていきます。
このシナプスの伝達効率は次第に変わっていくことがわかっており、これが脳を支えている基本的な原理です(=シナプス可塑性)。つまり、ある神経細胞から別の神経細胞には、入力があるかないかではなく、シナプスの伝達効率が次第に変化します。伝達効率が強化されれば神経細胞が発火しやすくなりますし、逆に伝達効率が低下すれば神経細胞はちょっとやそっとでは発火しにくくなります。
それではシナプスの可塑性はどのような仕組みで成り立っているのでしょうか?この点はまだ不明瞭な点もあるのですが、古くからヘブ則という仕組みが知られています。
ヘブ則
ヘブ則(Hebbian theory, Hebb's rule)*8は、ドナルド・ヘブ(Donald Hebb)が1949年に提案した、以下の仮説*9です。
「神経細胞Aの軸索が、神経細胞Bを白化させるのに十分近くにあり、繰り返しその発火に関与するとき、いくつかの成長過程あるいは代謝変化が一方あるいは両方の細胞に起こり、細胞Bを発火させる細胞の1つとして細胞Aの効率が増加する。」
長くてよくわかりません。より簡単に言うと、「神経細胞Aが神経細胞Bを頻繁に発火させるのなら、神経細胞Aの効率が良くなる」です。
この変化が脳の「学習する」「記憶する」という仕組みのベースになっていると考えられています*10。
ここでは、「繰り返し」「頻繁に」と書きましたが、実は1997年にスパイクタイミング依存可塑性(spike timing-dependent plasticity, STDP) という仕組みも発見されました。
これは、何度も発火させる必要は必ずしも必要ではなく、「神経細胞Bが発火する少し前に神経細胞Aが発火していれば、シナプスが増強され、逆であればシナプスが弱まる」というメカニズムです。今ではSTDPもさかんに研究され、これを取り入れたアルゴリズムも多数提案されています。
神経細胞はなにをしているのか?
たくさんの神経細胞が、たくさんの繊維でつながって、それらはヘブ則やSTDPによって結合を弱めたり強めたりしていることはわかりました。それではこの仕組みで脳はどのような処理をしているのでしょうか?
まず考えられるのは、神経細胞が発火したときの電位です。つまり、情報を電圧の大小によって伝える、という仕組みです。これはわかりやすいのですが支持されていません。証拠がありませんし、なにより遠いところへ情報を伝えようとしてもだんだん電気信号が弱まっていくので、近くにある細胞と遠くにある細胞で伝える情報が変わってしまいます。もっとデジタルな方法で情報を表現していそうです。
発火率表現
次にありそうなのは周波数で情報表現する方法です(周波数コーディング、発火率コーディング, rate coding)。これはすでに観察されていて、たとえば感覚刺激の大きさと、感覚神経が発するスパイクの多さは比例関係にあります。つまり、皮膚をやさしく触った時はスパイクの数が少なく、強くつねったときはスパイクの数が増える、というわけです。
位相表現
発火率表現は、ある時間観察したときに何回神経細胞が発火したか(=スパイクがいくつあるか)だけに注目しましたが、いくつかの神経細胞が発火する時間差も重要そうです。これは位相表現、あるいはタイミング表現といい、こちらも実際に観察されています*11。
脳は上記の発火率表現と位相表現をベースにして、さらに特定の細胞の組み合わせ(AとBは発火しているが、CとDは発火していない、など)や、ある神経細胞のグループが同時に発火したのか、順番に発火したのかなどの情報を利用としていると考えられていますが、このあたりの巨視的な動きについてはまだわかっていない点が多く、今もよく研究されています。
おばあさん細胞説
「記憶」のところでより詳しく触れますが、よく挙げられるものとしておばあさん細胞(grand mother cell)説があります。
これは、ある神経細胞は特定のあることを意味していると考えるモデルです。たとえば脳のどこかには「おばあさん」を表現する細胞があり、目でおばあさんを見たり、耳で「おばあさん」という言葉を聞いた時は、この神経細胞が発火する、というものです。
この説はちょっと無理がありそうです。なぜなら、神経細胞は基本的にどんどん減っていくので、たまたまおばあさん細胞が死んでしまったときは、「他のことはまったく問題ないが、おばあさんという概念だけはどうしてもわからない」といった事態になってしまいます。実際には、頭をすこし打ったり、歳をとったからといってそんなことは起きていないように思われます。
また、脳の細胞はすべて足しても860億程度しかないので、神経細胞ひとつひとつにあらゆる概念を対応させていこうとすると数が足りなさそうです*12。
ところがこの説は割と支持されていて、たとえば側頭葉にはある特定の人物や建物を見た時だけに反応する神経細胞が見つかっています(たとえば、ビル・クリントンを見た時だけに反応する神経細胞や、シドニーのオペラハウスを見た時だけ反応する神経細胞がある)*13。
このあたりの詳しいメカニズムは謎が多いのですが、ある特定の概念を表す細胞はあるものの、大抵の場合はいくつかのより低次元な特徴に反応する細胞が寄り集まって高度な概念を表現している*14、と考えられています。
大抵のものは様々な側面があり、たとえば自動車は色も形も大きさもいろいろな種類のものがありますが、どれも「車」だと認識することができます。また、「赤くて丸くて表面がつるつるしていて…」というものを見てあるときは「りんご」だと判断することができますし、あるときは「トマト」だと認識することができます。こういった複数の特徴をひとつにまとめあげてそれがなにかを認識するということはかなり複雑なメカニズムのはずですが、このあたりの仕組みはまだ大きな謎になっています(シンボルグラウンディング問題)*15。
まとめ
脳を構成する最小単位である神経細胞について説明しました。
神経細胞の振る舞いについては、非常に細かいところまで研究されていますが、ここではごく基本的な部分にのみとどめました。
後日解説するニューラルネットワークは、この神経細胞を参考にして、コンピュータ上に脳を再現しようとする試みです*16。
次回以降は、しばらく脳の各器官について見ていきますが、これらの大小様々な器官がこの神経細胞という単一の細胞の集合から成り立っているということは驚くべきことですね。
*1:ふたつをまとめて、神経突起(neurite)と呼ぶことがある
*2:たとえば、脊髄から足の筋肉まで伸びている運動神経繊維など(=末梢神経系)
*3:結合するといっても、実はここにはシナプス間隙という隙間があり(20nm程度)、両者は電気的には結合しておらず、神経伝達物質をやりとりする
*4:ホジキン・ハックスレーやホジキン・ハクスリーなど複数表記あり
*5:ヤリイカの神経軸索は肉眼で確認できるほど巨大なため、よくモデル生物として使われる
*6:この功績で、二人は1963年にノーベル生理学・医学賞を受賞した
*7:D Amsallem, Jan Nordström. High-Order Accurate Difference Schemes for the Hodgkin-Huxley Equations. Journal of Computational Physics, Vol. 252, November 2013, pp. 573-590 から引用
*8:ヘッブ則ともいう
*9: Hebb, D. O. The Organization of Behavior: A Neuropsychological Theory New York, Wiley & Sons: 1949
*10:今では、ヘブ則で説明ができないような振る舞いもあり、反ヘブ則(anti-Hebbian)と呼ばれる
*11:特に有名なのは海馬の場所細胞
*12:しかも長期記憶が蓄えられるとされる大脳皮質にいたっては100億くらいしかないうえに、そのうちの何割かは運動や感覚の処理に使われることを考えると、更に少ない数しかない
*13:Why your brain has a 'Jennifer Aniston cell' – being-human – 22 June 2005 – New Scientist
*14:ある細胞集団がどのようにして意味を表現しているのかについても複数のモデルが提案されている
*15:視覚のモデルで触れるが、Deep Learning はこの問題に対して完璧ではないもののある種の示唆をあたえた
*16:今のニューラルネットワークはあまりにも簡略化しすぎているので、脳を模倣しているとは到底いえないが、建前としてはそうである