【山形】退団する山崎がサポーターにラストメッセージ「正直去りたくない」
今季限りでJ1モンテディオ山形を退団するFW山崎雅人(33)が、4年半在籍した山形とサポーターへの思いを、スポーツ報知に激白した。試合開始から全力で走る姿は若手の手本となり、モンテの代名詞「ハードワーク」の体現者だった。昨年の昇格プレーオフで決勝点を決め4年ぶりのJ1復帰の立役者となった背番号30は、そのとき履いていたメモリアルスパイクをプレゼントグッズとして本紙に提供。サポーターへの感謝の意を示した。(取材・構成=武田 泉)
泥臭い献身的なハードワークで山崎はモンテの先頭を走ってきた。
「正直、山形を去りたくないんですわ。12年間のプロ生活で一番長く所属して、仲間もサポーターもこの土地も大好きだった。もう少し山形でプレーして、ここで(現役を)辞めたい気持ちもあった」
2011年途中に、広島からJ1時代の山形に期限付き移籍で加入したが、チームは翌年のJ2降格が決定。再昇格を誓い、翌年、山形に完全移籍した。
「(期限付き移籍の時は)早くなじんで良い状態で試合に出たかったので、オファーから4日後にスパイクだけ持って1人で山形に来た。子供が生後4か月だったけど…。降格した12年は、自分たちの力で昇格したいという思いが強かった。悔しさを味わった人がいた方がチャンスがあると思い、フロントに『メンバーを変えないでくれ』と頼んだし、選手も引き留めた」
心に残る試合がある。
「12年のホーム・湘南戦(6月13日)。自分がPKを止められて、試合は1―2で負けた。順位が首位から(3位に)落ちてブーイングを覚悟したけど、後押しする声が大きかった。PKを外してショックだったけど救われたし、サポーターの思いが伝わった。山形でやり続けたいと思った」
昨季は終盤戦の快進撃の核となり、プレーオフ決勝・千葉戦(1〇0)で劇的な決勝ヘッドを決め、4年ぶりのJ1へと導いた。
「想像以上の応援があって、山形県全員で勝てた喜びがあった。試合後のインタビューは、我慢したけど泣けてきました」
今季は左足首に疲労による痛みが出て、7月29日の名古屋戦を最後にベンチから外れた。
「今季で(契約満了が)あると感じていたから、ホーム最終戦(11月7日・対清水)に出ることを目標にした。結局、ベンチに入れなくて、サポーターにしっかりあいさつできなかったことが一番つらかった」
山形愛にあふれる男。プレーオフ決勝で履いていたスパイクを「サポーターに」と惜しげもなく提供してくれた。移籍当時4か月だった息子も、今は4歳のサッカー少年。父の偉業の証拠として手元に置いた方がいいのでは、と伝えたが…。
「息子にはモンテのユニホームをあげるからいいんです。4年半、良い時も悪い時もこのサポーターと一緒に戦えたのは僕の財産。『ありがとう』しか言えない」
現役引退する気はない。4日まで天童市内の練習場に顔を出し、それを最後にモンテディオを去る。
「今は山形のために力を出し切ったので、悔いはない。山形のように、チームのために全力を出せる所でプレーしたいです」
◆山崎 雅人(やまざき・まさと)1981年12月4日、京都市生まれ。33歳。FW。京都大宅SSS、久御山高、国士舘大を経て、2004年、横浜Mに入団。05年途中で大分に移籍し、08年にG大阪へ。同年から天皇杯2連覇に貢献した。10年に広島に移り、11年7月、山形に期限付きで移籍した。12年に完全移籍、3季連続で主将を務め、今季は副主将。J1通算189試合、16得点。J2通算106試合、16得点。174センチ、68キロ。