シリアからの難民たちが目指すEU諸国。その中心ともいえるフランスで同時多発テロが発生した。報に接して真っ先に心に浮かんだのは、「憎悪の連鎖」への危惧だった。
イラク戦争の開戦に反対し続けたのはシラク元大統領だが、サルコジ前大統領はムスリム移民に対して様々な批判的な発言をしたことで知られる。今年の初めにはシャルリ・エブド事件も起きた。
今回喧伝されている「犯人はアラビア語で『神は至大なり』と叫んでいた」ということと、先のロシア民間機墜落に関する「イスラム国」の犯行声明などから、「イスラム」やムスリムたちが憎悪の対象となることが危惧される。いわゆる「イスラモフォビア(イスラム嫌悪)」がこの先、多くの難民たちに向かわないか、憎悪の連鎖がさまざまなかたちで繰り返されないか。
パリでのテロは「イスラム国」が計画的に起こしたものではないと見る研究者も少なくない。パレスチナ問題を扱った『ガリレアの婚礼』という映画があるが、その中でパレスチナ人の結婚式を監視するイスラエル軍に対して抗すべく火炎瓶を用意する若者たちが登場する。訓練を受け組織だった命令を受けた者でなくても、無辜の市民の命を奪う行為は可能だというのがわかる。根本となるのが抑えつけられた憎悪であるとすれば、この連鎖を断ち切るのはいよいよ難しい。
憎悪の連鎖は今この瞬間も、破壊と難民を生み出し続けている。
平和な日のダマスカスとイラクからの難民
上の写真は2008年にシリアはダマスカス市を訪れたときに撮った、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の難民テントである。場所はダマスカス市内でも中心のバスターミナル横にあり、皮肉にもその向かいには超高級ホテルであるフォーシーズンズが聳えていた。
当時ここに集まっていた難民はイラクから逃れて来たイラク人たちで、ずらりと難民番号が張り出されている。「ずっと待っているんだ」と難民番号のボードを指してくれた初老の男性は、私がイラクにいたときに住んでいた場所の近くから来たということで、どういう経緯でここにきたのかたずねてみた。彼にとっては、私はおそらく初めて話したであろうイラクにいた日本人、しばらくあれこれ話をした。大きなテントの中では日本の赤十字にあたる「赤新月」の若いスタッフがてきぱきと難民たちに指示を出し、体調を崩した人には応急処置も施していた。一人の女性スタッフに尋ねると、彼女はシリア人の赤新月のボランティアであると言った。
その夜、テントで話した男性からホテルに電話があった。私が泊まっているホテル名を話したため、そしておそらくその日宿泊していた日本人は私ひとりだったためか、ホテルスタッフは部屋に電話をつないでくれた。彼は、ダマスカスの滞在はどうかとたずね、どのくらい滞在するのかもたずね、そして「日本に行きたい。日本に連れて行ってほしい」と何度も繰り返した。私個人の力でイラク人難民を日本に連れて行けるはずがない。残念だがそれはできないと電話を切ったが、それから毎日電話がかかってくるようになり、ついにホテルスタッフに「電話をつながないようにしてほしい」と頼んだ。
おそらく彼は難民テントや、そのあと振り分けられるシリアの土地での生活に不安を感じ、「日本なら生活が出来る国だ」と判断して連日電話をかけてきたのだろう。彼が日本についてどの程度の知識を持っていたかは定かではないが、少なくとも明日をも知れぬ難民生活に比して、先進国である日本への憧れもあったのだろう。電話がかからなくなってからは日々申し訳ない思いで、ただただ彼が無事に生活を送ってくれることを祈るばかりだった。
UNHCRのパンフレットをもらって読んでみたが、難民たちは手厚く保護され、配給物資も十分であり、人権についてもしっかり守られていると明記してあった。