日本の検察は、我慢できずに控訴するのだろうか。それとも、じっと我慢して受け入れるのだろうか。先週、裁判所が無罪放免した菊地直子(44)という女性をめぐり、日本メディアが騒然としている。
1995年3月20日朝、オウム真理教という新興宗教の信者が、東京都内の地下鉄に「サリン」という致命的な神経ガスをまいた。13人が命を落とし、約6300人が重軽傷を負った。当時40歳の教祖・麻原彰晃(60)がさせたことだった。警察は捜査の網を絞っていった。オウム真理教は、教祖逮捕を阻止するため、東京都知事の事務室に爆発物入りの小包を送った。都庁の職員が小包を開封したところ爆弾が爆発し、6本の指を失った。地下鉄サリン事件から2カ月後、5月16日のことだった。
警察が、山梨県の本拠地から東京都内のアジトまでサリンや爆弾の原料を運んだ容疑者を公開した。1億3000万の日本人が衝撃を受けた。ストレートの髪を長く伸ばした清純な女性が笑っていた。当時24歳の菊地直子だった。教育熱が強い中産層の家庭に生まれ、競争率の高い学校ばかりに通って育った、と日本メディアは報じた。
その後17年にわたって潜伏を続けた菊地直子は、2012年に逮捕された。日本列島がまたも息をのんだ。指名手配のビラに載っていた清純なテロリストの面影は、どこにもなかった。げっそりと頬のこけた中年女性がカメラに映っていた。裁判所はまず、菊地直子をかくまっていた同居男性に対し、懲役1年6カ月、執行猶予5年を言い渡した。菊地直子の罪を問う作業は、もう少し長くかかった。
核心は、菊地直子が「知っていたか、知らなかったか」だった。自分の運んでいる物が人を殺すものだろうとちゃんと分かっていたのなら、殺人に加担した人間だ。逆に、自分が何を運んでいるのかも知らず、ただ言われたとおりにしたのなら、話は違ってくる。菊地直子は「知らなかった」と抗弁した。検察は信じなかった。当時、検察側に立った証人がいた。麻原彰晃と共に死刑を言い渡されたオウム真理教の幹部、井上嘉浩だった。