業界でその名を知られるCTO(最高技術責任者)に、仕事に役立つ名著を紹介してもらうこの連載。第5回目となる今回は、各種メディアやアドテク事業を展開するVOYAGE GROUPの小賀昌法氏だ。
今回、編集部が小賀氏に依頼したテーマは「エンジニアの採用や育成方針を構想する上で役立った良書3冊」。果たしてどんな書籍を選んだのだろうか?
多くの人の手を経て出版される書籍はお得な情報源
「本を読むのは好きですね。2015年1月から9月までに読んだ本を数えてみたんですが、全部読み通した本は、ビジネス17冊、技術書2冊、マンガ88冊、小説2冊。流し読みや一部だけ読んで済ませた本は、ビジネス9冊、技術書4冊でした」
ビジネス書や技術書だけでなく、マンガや小説もよく読むという古賀氏。ストーリーや登場人物の言動から、実生活に役立つ考え方や表現が学べるからという。
情報を単純な「点」としてではなく、背景や前後関係を交えた「流れ」として伝えることで相互理解が深まることも、読書を通じて学んだことである。
「例えば、採用面接は応募者を値踏みする場のように思われるかもしれませんが、私たちにとっては、VOYAGE GROUPの姿を正しく理解してもらう場です。ですから現実の出来事を並べ立て相手の理解を迫るのではなく、現在の会社の状況がどういう経緯で成り立っているのか、分かりやすく説明することを常に心掛けています。ストーリーには理解を促す力がある。これも読書から学んだことの一つです」
むろん、そんな小賀氏が書籍から得る情報に寄せる信頼は厚い。
「もちろん例外はありますが、多くの場合、Webコンテンツに比べて書籍の密度は圧倒的です。そもそも自分の考えを1冊の分量にまとめるのはすごく難しいことですし、著者や編集者など、多くの関係者の労力があって初めて1冊の本が出版されるわけですから、その手間隙を考えると、読書から知見を得るというのはかなりお得な方法だと思います」
小賀氏が採用や育成方針を構想する際に読んだ本
小賀氏がCTO就任前後で読んだ「組織づくりを学んだ3冊」とは
そんな小賀氏に投げ掛けたテーマは「エンジニアの採用や育成方針を構想する上で役立った良書3冊」。選んでくれたのは、以下の3冊だ。
【1】『Joel on Software』 ジョエル・スポルスキー著(オーム社)
私がVOYAGE GROUPに入社して、初めて手掛けた全社的な取り組みが、エンジニアの中途採用方針を再定義することだったんですね。その時一番参考にしたのがこの本でした。
筆者は「採用面接ゲリラガイド」という章で、採用すべきエンジニア像をこう書いています。「頭がよく」、「物事を成し遂げる」人物だと。
そこで私も中途採用に関わるエンジニアたちと一緒になって、私たちにとって「頭がよく」、「物事を成し遂げる」エンジニアとはどういう人物なのか掘り下げていった結果、「挑戦し続けられるエンジニアであるべきだ」など、具体的なイメージが固まりまっていきました。
ここからスキルや経験など、細かな要件に落とし込み、それまでバラバラだったエンジニア採用に対する考え方一本化することができたんです。
【2】『木のいのち木のこころ―天・地・人』 西岡常一著 小川三夫著 塩野米松著(新潮社)
この本は、1300年以上にわたって法隆寺を守り続けてきた宮大工の技と知恵を受け継いだ3人の棟梁の言葉をまとめた本です。
建築についてだけでなく、人材育成に関わるエピソードも多く、エンジニアの育成を考える上でとても参考になりました。
特に印象に残っているのは、「堂塔の木組みは木の癖で組め」といった話や「百論をひとつに止めるの器量なき者は慎み惧れて匠長の座を去れ」など、含蓄のある言葉の数々です。
こうした心に響く言葉に出会うたびにページを繰る手を休め、CTOの立場の重みや振る舞い方に思いを馳せながら読み進めました。
【3】『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?(上・下)』 ダニエル・カーネマン著(早川書房)
1人1人の個性をいかに活かすべきか考えるうち、人間の思考や認知のあり方に興味が湧き、この本を手にしました。
副題にもあるのように、本書の面白さは、行動経済学や認知心理学の研究から得た知見から、意思決定のプロセスを解きほぐしてくれる点にあります。
著者は、人間の意思決定に関わる「速い思考」と「遅い思考」という2つのシステムや、「エコンとヒューマン」、「経験する自己と記憶する自己」という3つの軸から、人が時として不合理な決定を下してしまう理由を解説してくれます。
この本は、採用や人材育成の基本的な軸を決めるのに役立っただけでなく、人間理解を深めるためにも役に立ちました。
読書はこれから歩むべき道を照らす指針でもある
小賀氏にとっての読書は2つのパターンがある。情報をいち早く吸収するための読書と、好奇心を満たすための読書だ。
今回選んでくれた書籍は、いずれも後者にあたる読み方で出会った本である。
「これらは、技術書やビジネス書を読む時とは違って、特に何かを得ようと思って読み始めた本ではありません。内容が素晴らしかったのは確かですが、実は読み始めるまでは『どこかで役に立ったらいいな』程度の軽い気持ちで読み始めた本ばかりでした。これは私の感覚値ですが、むしろそれくらいのつもりで読んだ本の方が、実生活で役立つことが多いような気がしています」
実際、VOYAGE GROUPのエンジニア育成や評価制度には、明確な目的を持たず何気なく手にした本から影響を受けた部分も多いという。
「どの本のどの部分を活かしたと言い切ることはできませんが、制度や仕組みに共通する根っこの部分に大きな影響を受けているのは確かです。半期に一度、エンジニアの能力を評価する『技術力評価会』や、エンジニアを評価する能力を伸ばすために、評価結果をみんなで共有する制度なども、当事者であるエンジニア同士の話し合いで実現したものですが、どれも公平性や透明度の高さという点で共通しています」
優れた本には、ジャンルを問わず自分の価値観や心の奥底に響くところがあるものだ。それは、書籍に書かれた内容を利用しようという明確な意図がなく読み始めた本であっても、変わることはない。
「自分が大事にしている価値観や判断基準が、第三者の目からみてどう映るのか。本の内容に触れながら、答え合わせをしている感覚は常にあります。自分が大事にしている軸がブレたり、間違ったりしていないか確かめるためにも、本を読むことはとても有効だと思います」
小賀氏にとって読書は知識の源であると同時に、自分がこれから歩むべき道を照らす指針にもなっているのだ。
読書に過度な期待をせず気軽に読んでほしい
小賀氏が薦める「読書とのほど良い距離感」とは?
最後にエンジニア読者に向け、読書習慣を身につけるコツを聞いた。
「本を読むことが苦手なエンジニアは、読書に対して過度な期待をしているのかもしれません。読書の効能は行動や実践が伴って初めて活きてくるもの。本を読めばすべての問題が解決するわけではありませんから、気負わず、気になった本を読んでみればいいのではないでしょうか」
もし1冊丸々読み通せなくても、書いてある内容がすべて理解できなくても構わないと小賀氏は考えている。
「今はピンとこなくても時期が来れば理解できることもありますし、パラパラ眺めているだけでも身になることもあります。“積ん読”になることを恐れずにチャレンジしてみるべきでしょうね。手始めに、尊敬する人や自分と意見が似ていると感じる人が書いた本や、勧めている本から読んでみるといいですよ」
技術がそうであるように、座学で学んだ知識だけでは仕事の役に立たない。実際に手を動かしてこそ、初めて実のある技術を習得でき実践に活かせるのだ。
逆に言えば、日ごろ、忙しく手を動かしているエンジニアにとって、読書は、自分を強く育てるための新たな武器になり得る大きな可能性がある。
小賀氏が経験したように、何気なく手に取った1冊の本から、思いもしない可能性が拓けることもあるからだ。読書がもたらしてくれる効能は、思いがけない偶然の中にも潜んでいるのである。
取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/桑原美樹