自分が付けたはてブも1000を超えると、何をブックマークしたか忘れる&古くなって意味をなさなくなるので、定期的に整理してタグをつけ直します。
アルコールランプで水分を蒸発させて、純度を上げていくような作業が楽しい。
「これ欲しかったけどはてブして忘れてた!」というモノをアマゾンのほしい物リストに移したり。「これ脊髄反射ではてブしたけど、特に必要なかったなー」と反省したり。そして自分のはてブ基準がアップデートされてきます。
一番楽しいのは、今は書き手を認識したブログの、当時は認識してなかった記事にはてブしてたのを見つける時。「あれはあの人が書いたのか」と気付くと、改めてこの人の文章好きだなぁと思えるのです。
逆に悲しいのは、はてブしてた記事のリンクが切れていた時。最近思うんですけれど、デジタルってアナログに比べると記録を残すのも楽だけど消すのも楽で、アナログ以上に簡単に消えていく気がします。
しょうがないのもどうしようもないのもわかっていて、でもほんのり自分勝手に悲しくなる。某店長のばーさんマッサージ話が定期的に読みたくなる病。
あとやっぱり、以前はてブした記事を読み返すのも楽しいんですよねー。
これ何度読んでも面白いなとか、胸に響くなとか、読むたびこのテーマを考えたくなるなとか。いつの間にか薄れていて、ひどい場合には存在を忘れてしまっていた記事の記憶を更新していく。
こんな風に文章が書けたら/こんな風な人になれたら、という憧れを思い出す作業はやっぱり楽しいのです。
記事が読み返される、再発見されるのってすごく素敵なことだと思っていて、だって記事を公開したその瞬間だけ読まれるのってなんだか、その方が不思議な気がしませんか。その時、その記事を読めるコンディションで、その記事の公開に立ち会うのってとても運任せだと思う。
それに、もしかしたら同じ人同じコンディションであっても、時間を経て経験や知識を蓄積させていていれば、また違う読み方ができる文章もあるかもしれないですし。
例えばこちらの記事ですけれど、
初めて読んだのは就職してすぐだったかなーいや就活時期だったか。何度も読み返してます。
「きっと何者にもなれない」あなたへ、という書き出しに、当時の自分はすごい衝撃を受けて、割と一日単位で悩んだ気がする。今でもふとした瞬間に思い出して、検索して読み返します。そして考える。だからすごく好きで。
はじめてこの記事を読んだ頃、自分はブログを書くなんて思ってもなくて、だから単純に素敵な記事だなぁという感想でした。
でも今こうして自分でもブログを書くようになって、そして自分の過去書いた記事を読み返すと、消耗される記事だなぁとちょっとだけ自己嫌悪に陥るんですね。読み返される記事って稀有で、難しい。
や、書いてるその瞬間は頑張ってますよ?良い記事になりますように―!と願いながら書いてる。
こういうこと書いて慰めを求めてる風に思われるのも嫌だし必要にしてないんですけれど、でも時間をおいて読み返すとインスタントだなーと落ち込む。
でもだからこそ思えるんですね、いつか自分も読み返されるような文章が書きたいなーと。
それはソーシャル経由でも検索経由でもいいのだけれど、一度読んで、それで時間をおいてからふとした瞬間に「あ、あれまた読みたい」そう思われて検索される文章を、いつか書けるようになりたい。
いつかをいつにするか、それを決めるのは自分という気もするのですけれど。んーまだ覚悟がなーいや人生経験か。