ソ連への越境を決意した岡田嘉子は、樺太で消息を絶ちました。
岡田嘉子(おかだ・よしこ)は女優でしたが、彼女が活躍したのは私が生まれる前の話です。しかしとにかく、すごい経歴の持ち主です。
写真で見る限り、岡田嘉子はかなりの美人です。しかも今でいう恋多き女優でした。
「出家とその弟子」という山田隆弥主宰の舞台協会公演で、新劇界のスターになります。映画にも進出しましたので、順風満帆な芸能活動を切ったと言えます。
山田隆弥とは仕事だけでなく、内縁関係にあったようですが、1927年に映画の相手役、竹中良一と撮影中に失踪します。結婚までしました。
しかし36年には、演出家の杉本良吉と恋に落ちたのです。
ひょっとすると、岡田嘉子にとって杉本良吉は運命の人だったのかもしれません。
けれどもまさしく、不倫です。この当時の女性でここまで奔放に生きた人は、おそらく他にはいないでしょう。しかも彼女は奔放なだけでありません。誰もが欲してやまないくせに、ついつい取り逃がしてしまう愛情というものを、鷲づかみにできるような女性でした。
彼女は遠慮などしないのです。人を愛するためならば。
愛情が深すぎる人を、私は私の人生の中で幾人か見た覚えがあります。
愛するがゆえに、その他のものを決して見ようとしない。人間の視覚にも、それから心情にも、そういった偏りは多々、存在します。
偏りは愛ゆえですが、しかし愛ゆえに許されるわけでも、愛したがゆえに幸せになれるわけでもありません。しかも愛情はいつもいつも、きれいなものばかりではない。愛される側の者を不幸のどん底へ突き落してしまう場合も、あり得るのです。
対象は愛人であろうが、息子であろうが、娘であろうが同じです。愛人も息子も娘でさえも、不幸せにしてしまう愛情もやはりあると認めるしかありません。
鬼気とした愛です。
愛情はときとして、本人にも愛される側にとっても、ひたすら残酷です。どうしようもないほど悲惨な運命を呼び込んでしまう場合もあると、岡田嘉子の経歴を調べれば調べるほどに、感じさせてくれました。
まさに岡田嘉子は、愛情の鬼です。
愛深きゆえの不幸が、ふたりを襲う。
実は岡田嘉子は女優としての経歴よりも「恋の樺太逃避行」で有名な人でした。おそらく現在ならば、そうとう叩かれるような事件ではないかと思います。
しかし岡田嘉子は、愛人である杉本良吉の身を案じただけです。好きで好きでたまらなかったから、心配で心配でしょうがなかったんだと思います。
杉本良吉は演出家でしたが、共産党員でもありました。そんな彼が軍隊に招集されれば、どんな目に合うのか、想像するだけでも怖かったのです。
だからこそ、岡田嘉子は杉本良吉と一緒に、逃げました。愛ゆえの逃避行だったのです。焦がれているからこそ、ソ連への越境を提案したのです。
運命の人と、私は私の人生の中で本当に出会ったのかどうか、確たる自信がありません。
確かに私は妻に何の不服もありません。それでも妻が、果たして運命の人だったのかどうか、身を焦がすほどの思いを味わったのかと問われたら、それに即座にうなずけるほどの潔さを、残念ながら持ち合わせてはいないのです。
自分よりも大事な自分以外の第三者として考えるのなら、妻も子供もその範疇に入りはします。ですがそれは、愛情の中でも穏やかな部類の感情です。
そうではなくて、狂うように慕う。身もだえするほど欲してやまない相手には、残念ながら出会っていないのかもしれません。
だからと言って、私は私の愛情に対して何の不服も感じません。それだけ私が、愛情に浅い男だというだけのことかもしれませんが。
とにかく1938年、岡田嘉子と杉本良吉は樺太で消息を絶ち、日本国民は恋の樺太逃避行と騒ぎたてたのでした。
それから14年後、岡田嘉子がモスクワ放送局で、日本語のアナウンサーをしていることが判明します。
岡田嘉子は結婚をしていました。しかも相手は杉本良吉ではなくて、同僚の日本人でした。念願の、モスクワ国立演劇総合大学で演出を学んだそうです。
杉本良吉は残念ながら、スパイ容疑をかけられて、銃殺の刑を受けていました。
皮肉な明暗としか言いようがありません。愛情がもたらした結果としては十分に悲惨と言えますが、実は現実というやつはもっと残酷なものであると、やがてわかります。
岡田嘉子は72年に里帰りをします。74年からはほどんど、日本で生活をしています。
映画や舞台のほか、テレビにもいくつか出演したと記録にはあります。そして86年、波乱万丈な生涯を閉じるのですが、亡命直後の状況について、彼女は生きている間は何も語りませんでした。
しかし彼女が死んだあと、驚くべき事実が判明します。ソ連の収容所で書いた、岡田嘉子直筆の嘆願書が出てきたのです。
そこには驚くべき事実が綴られていました。
彼女はなんと、拷問とも言える取り調べを受けていたようです。激しく攻め立てられたすえにスパイの自白を強要されて、10年の刑が確定しました。しかも岡田の自白がもとで、杉本も自らをスパイと認めるしかなくなって、39年の銃殺につながったことが判明したのです。
自分の供述がもとで、最愛の人が銃殺にされる。過酷すぎる運命を背負った岡田嘉子は、現在は土の下で静かに眠っています。
軽率な行動だったと責めるのは簡単ですし、自業自得だと突き放す人も、いるはずです。それでもそこまでの罰を受けるような女性であったとは、私にはとても思えません。
岡田嘉子は誰よりも愛情深い女性でした。眠りながらもまた、誰かを深く愛してください。今度こそ、幸せな逃避行が待っているように、私は心から願っています。
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