今週のお題「人生に影響を与えた1冊」
自我がふわふわとしているためか、周囲の影響を受けやすい。
だから我が人生は、趣味である読書からの影響を抜きにしては語れない。
小中学生
小学生高学年のときに転校をした。二回目の転校だった。引越しという事象に特に動揺することはなかった・・・と大人の私は記憶している。
田舎の小学校から、そこそこ都会の小学校への転校だった。都会の小学生はませていた、のだろうか。子供時代特有のふんわりとした全体性は、そのクラスにはすでになく、大人になる道程で必ずぶち当たる壁、他人との比較の末に生まれるスクールカースト――その萌芽となるクラスがなんとなくグループに分かれている状態に置かれていた。
転校生だった私は、まず、その状態に驚いた。それぞれのグループごとに固まって過ごす休み時間――同級生同士なのに、見下し見下され、そこに優越感や劣等感を感じざる終えない状況。普通に生きて普通に死ぬことが目標の私は、そこそこ上手くやったはずだった。でも、どこかで無理していたのだろう。のめり込むように本を読む日々が始まった。
いや、本はそれ以前からよく読んでいた。
引越しおよび転校は、大人になった私が無理やり子供時代に説明をつけるための方便かもしれない。
だけど、ターニングポイントといえる本は確かにあった。私は小学6年生のとき『十角館の殺人』を読んだ。ノベルスだ。明確なる「大人の本」だ。それは滅法面白かった。『十角館の殺人』の登場人物たちの渾名は有名な古典ミステリからとられている。元ネタのミステリが知りたくてクイーンやらヴァン・ダインやらを読んだ。いつの間にか夢中になった。
推理小説が好きだと自覚した私は古今東西のミステリを読み漁った。ミステリが好きになる素質はあった。父の実家の倉庫には、赤川次郎がダンボールに詰まっていたし、母親もよく図書館でミステリやサスペンスを借りていた。小学校二年生のときから何度も読んだ青い鳥文庫の名探偵夢水清志郎シリーズも良く考えればミステリだ。
そして衝撃的な出会いを果たす。森ミステリだ。『すべてはFになる』である。
一度目は小学6年生のとき。実は、一度目は挫折した。最後まで読めたのは中学校にあがってからだった。最後まで読みきったとき、「感動」の意味を知った。世界がひっくり返った。
大げさな、と思われるかもしれない。書きながら、大人の私もそう思っている。しかし中学生の私には、その一冊のミステリが示す世界の見方は斬新で、まさに世界が開かれたように思えた。ああ、自分の見ていた世界は何だったのだろう。
こうして私は四季シリーズまでの森ミステリを、まさにむしゃぶるように読んだのでした。一言で言えば、拗れた中二病。リアルの友人にはいまだにいえない黒歴史だ。
(小学生高学年から中学生にかけて、世の中の読書ムーブメントはハリーポッターやダレンシャンといったファンタジーだった。ハリーポッターもダレンシャンも面白かった。しかし、両者とも途中で挫折し、私は最高学年に進級したハリーの活躍を知らない)
高校生
我が国で一番価値が高い人種は高校生である。といっても過言ではない、世間的には。貴重なはずの高校時代を有意義に過ごすべく、私は一つの目標を定めた。【日本三大奇書を読破する】。ご存知のとおり『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』である。
3年間、真面目に高校へと通った結果、この目標は無事に達成できた。辛かったのは『黒死館殺人事件』。豪華絢爛なレトリックは、俗物的な庶民の一人に過ぎない私には荷が重かった。授業時間を読書に費やすことでようやく読破した。ちなみに小栗虫太郎の名前を知ったのは、小学生の時に読んだ夢水シリーズの中でだったりするので(シリーズ1冊目『そして5人がいなくなる』だった気がする)、なかなか本との縁は味なものだ。
逆に好きになり、今でも定期的に読み返しているのは『ドグラ・マグラ』。いや、説明不要でしょう。ほら、目を閉じれば、時計の鐘の音が聞こえてくる・・・・・・買ったのは高校2年生の夏だった。友達と映画を見に行った際、駅の本屋で買ったのだ。文庫本で二冊。今でも覚えている。嗚呼、遠い日々。
それら2冊に比べると『虚無への供物』の印象は薄い。素敵なおじさんが出てきた気がする・・・・・・でも、久しぶりに読み返したい気がする。
それから高校では、戯曲や新書を読むようになった。ちなみに戯曲はシュールで不条理なものが好きです。高校の図書室で、別役実の脚本を読んでいたのを覚えている。久しぶりに読みたいな。シェイクスピアではマクベス派。
大学進学時の学部選びも、誰にも言っていないが、そのとき読んでいた本(というか漫画)に流されて決めた。が、ちょっと特殊な感もあるので、ここは省略。一番本が人生に影響を与えていた話な気もするが。学部は違うが、例えれば『もやしもん』を読んで農大を進路に選ぶような感じの話だ。うん、軽い選択だった。後悔はしていない。
大学生
大学での本の思い出もいっぱいある。が、ちょっと疲れてきたので、省略。
ちょっとだけ書いておくと、恋人と仲良くなったきっかけが『虐殺器官』だった。
最近、キンドルで買いなおした。伊藤計劃の小説はデートなんかよりよっぽど面白い、なんて小説を紹介してくれた恋人には死んでも言えない。
現在
おかげさまで、中学生時代ならまったくもって面白いと思わなかったであろう現代詩が大好きな大人になりました。