復活直後の国政監査は国民の願いをある程度かなえることができた。軍事政権の時代には知りたくても知りようのなかったことが、国政監査を通じて知ることができたからだ。国民は時の政権や政府の誤りを追及する議員の姿を通じ、大きな代理満足(自分ではかなえられない欲求を他者の行為により満たすこと)を感じることもできた。復活から5年目の本紙の社説には「暗鬱(あんうつ)な独裁政権下で長きにわたり監査権が奪われてきた国民は、毎年秋にエリートたちが鋭い追及をしてくれることで、国の主人としての立場や自負心をあらためて確認し、同時に新鮮な安心感も感じることができた」と書かれている。つまり国政監査は当時からそれなりに国民の支持を得ていたのだ。
その国政監査がどういうわけか、時間が過ぎるほど何か厄介者のような存在になりつつある。それは言うまでもなく国会議員の責任だ。朴正熙政権が維新独裁の道を突き進んでいた当時、目の敵と見なされていた国政監査を廃止する際「党利党略の道具に利用されている」「多様化、専門化している政策に国会議員は能力が足りないため付いてこられない」「怒号やおどし、根拠のない疑惑の羅列、叱責(しっせき)」「監査を受ける政府機関の手なずけ」「議員の請託を解決する手段として悪用」などさまざまな大義名分を掲げた。ちなみにこれらは2015年9月に新聞やテレビをにぎわせたニュースの言葉と全く同じだ。これらは1人当たりの国民所得がわずか300ドル(現在のレートで約3万6000円)だった時代に国会でやりとりされた内容だが、43年後に所得が100倍になった今もなお、どういうわけか全く同じ言葉が聞こえてくるのだ。
1972年10月17日、国政監査の開催中に突然、維新の非常戒厳令が宣布された。国会は解散され、国政監査はそれから16年にわたり歴史の裏側へと追いやられた。当時それをしたのは軍だが、今は軍ではなく国民がそれを望んでいる。国会、特に野党は1988年10月5日「行政府をけん制する最も大きな仕組み」を取り戻した時の感動と感激を今こそ思い起こさねばならない。