国政監査はついに歴史の保存庫に放り込まれる時を迎えたのだろうか。今年の国政監査もここ数年と同じく「論点がない」「スターがいない」という状況が続き、今やこのことをあらためて指摘することにも違和感を感じるほどだ。この「国政監査無用論」は実はすでに数年前から語られ始めている。「こんな国政監査ならもうやめよう」といった声は過去にも数え切れないほど出ていたが、今年はその声に強い説得力が感じられるほど深刻な状況だ。
国政監査はかつて憲法の教科書に「法律制定権や予算決定権と並んで国会が持つ三大権限の一つ」と記載されていたほど重要な制度だ。また過去において政府が今よりもはるかに強大な力を持っていた時代、国民主権という言葉さえどこかに追いやられた当時の記憶を思い起こせば、国政監査の大切さをあらためて感じることもできるはずだ。しかし今は毎年、その時期になれば普通に国政監査が行われるため「いつもやっていること」としか考えない人もいるだろう。
ちなみに現在の国政監査は1987年の民主化闘争によって生まれたものだが、もっと正確に言えば、あの時「やっとのことで取り戻した」国民の権利だ。5・16クーデター(1961年5月16日に朴正熙〈パク・チョンヒ〉陸軍少将〈当時〉らにより行われた軍事クーデター)から3年にわたり中断したことはあったものの、実は韓国で最初に制定された憲法から第3共和国(1963-72)憲法までは国政監査についての規定があり、第4共和国(1972-79)憲法、いわゆる維新憲法で再び削除され、続く全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の第5共和国(1981-88)憲法にもなかったが、1987年の民主化によって制定された現行憲法で復活した。ちなみに当時の与党だった民主正義党は国政監査の復活に激しく反対していたが、野党は「必ず復活させるべきだ」と強く主張した。当時改憲交渉に臨んでいた民主改憲案作成特別委員会の睦堯相(モク・ヨサン)委員長は「国政監査は国会が『通法府化』している現実の中、行政府をけん制できる最も大きな仕組みであり、何としても必要な制度だ」と主張していた。また当時、国民の多くも野党を支持していたため、そのおかげもあって国政監査を復活させることができたのだ。