鶴見俊輔さん死去:反戦平和追求 貫いた「思想の巨人」
毎日新聞 2015年07月24日 11時47分(最終更新 07月24日 13時50分)
哲学者で評論家の鶴見俊輔さんは、大衆文化に至るまで膨大な知識に裏付けられた思想だけでなく、身をもって平和を追い求めた運動家でもあった。巨人の死去を知人らが悼んだ。
「広く深く、アメリカ文化に通じた人だった。集会の立ち話で、愉快に教えられた。『民主主義者』そのもの」。作家、大江健三郎さんはしのんだ。鶴見さんは護憲を掲げ、2004年に結成された市民団体「九条の会」で、大江さんや故・小田実さん、井上ひさしさんらと共に呼びかけ人となった。
同会の事務局長を務める東京大学の小森陽一教授(日本文学)によると今年1月、呼びかけ人の一人で東京大名誉教授の奥平康弘さんが亡くなったときも、病床からでも運動に参加しようとする代筆のメッセージが寄せられるなど、最後まで会を気に掛け、財務面でも支え続けていたという。
1970年代まで大衆文学などアカデミズムの研究対象とならなかった分野に積極的にかかわった鶴見さんについて小森さんは「日本の社会と文化現象とをつなぎ、人間全体を研究する姿勢で人文科学を発展させた」と振り返りつつ、「戦争体験を思想化し、反戦平和を求めて生き抜かれた。大きな存在を失ったが、遺志を受け継いでいきたい」と誓った。
市民運動のリーダーとして、晩年まで民主主義の力を信じていた。07年、憲法改正を掲げ参院選で大敗した安倍晋三首相について、毎日新聞の取材に、「楽観はできないけれど、大衆の中に動きがあるかもしれないね。もう少し見てみたい」と語り、「民主主義は完全に成立することはない。追い込まれて盛り返す。そのパワーが重要なんだ」と話していた。
知的なユーモアも豊かだった。08年に「鶴見俊輔書評集成 全3巻」で毎日書評賞を受賞した際は、つえをつきながら登壇し「(米国留学したために)いまだに日本語はうまくない」「知識人とは異なる『悪い本』を読み続けて80年。一本貫いてきたものがある」と語って会場を沸かせた。
また同年、京都市内であった講演会では「自分の葬式を『ご近所葬』にしたい。無信仰者として死にたい」などと話していた。【棚部秀行、最上聡】