鶴見俊輔さんは多くの知識人にとっての指針だった。朋友(ほうゆう)として交わり、後進として薫陶を受けた。

 僧侶で作家の瀬戸内寂聴さん(93)は「私にとって恩人です」と話す。50年近く前、大逆事件で死刑になった管野須賀子の小説(「遠い声」)を書こうとしたとき、どこの出版社も掲載を渋るなか、「うちで書いたら」と「思想の科学」に載せてくれた。

 「その後も色々と相談に乗ってくれて本当に感謝している。今なお元気だったら、安倍政権に黙っていないで一緒になって、反対の声を上げていたと思う」

 映画評論家の佐藤忠男さん(84)は新潟で工員をしながら映画評論を書いていたころ、「思想の科学」に「任俠(にんきょう)について」という評論を投稿すると、評論と同じくらいの長さの手紙をもらい、感激した。

 「鶴見さんは、それまで議論の対象になりえなかったチャンバラ映画に哲学的な意味を見いだすなど、意表を突く文章を書かれ、大いに影響を受けた。自分と異なる思想の人を理解すべきだとおっしゃっていました。相手の人生や論理を理解したうえで反論すべきだ、と。私が文章を書くうえで、忘れられない教えになりました」

 哲学者の梅原猛さん(90)は京都大人文科学研究所の研究会の後輩として刺激を受け、目標としてきた。

 「鶴見さんの大きな仕事は思想や哲学を出来るだけ分かりやすく語り、民衆の立場で考えたこと。後藤新平の孫で、子どものころは一等車に乗って避暑に行ったという。しかし、そういう家に生まれたことにコンプレックスを持ち、民衆の中へ分け入った」

 鶴見さんは仏文学者の桑原武夫、多田道太郎らとともに1976年、「現代風俗研究会(現風研)」を立ち上げ、身近な都市の風俗や娯楽の研究も進めた。

 同会理事で京都文教大教授の鵜飼正樹さん(56)は「現風研の年報には会員から『便所』『風呂』など様々なテーマについてはがきで情報を送ってもらう『はがき報告』のコーナーがあり、鶴見さんは大変重視した。研究対象としては『玉石混交』だが、普通の社会学研究では抜け落ち、見失われてしまう『石』に意味を見いだそうとする姿勢は、後進に多くの影響を与えた」と振り返った。

 現風研の会員だった国際日本文化研究センター副所長の井上章一さん(60)は話す。「頭のいい人でした。20年ほど前、ご本人に直接申し上げたら、『私の頭が一番回転していたのは、毎週1回、(文化人類学者の)梅棹忠夫さんと京都大近くの老舗喫茶店で話をしていたときだった』と言われ、意外でした。梅棹さんは比較的自民党に近い立場に身を置き、鶴見さんは反権力の姿勢が鮮明で、全く逆方向に進んでいましたから。そんな思い出を聞き、京都の学者たちには立場や思想を超えたつながりが確かにあり、鶴見さんがその学問風土の真ん中にいたのだと感じました」