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2011/10/22

中世ヨーロッパのあだ名文化

Tweet ThisSend to Facebook | by sotani

獅子公だの熊公だのとブログに書いていたら、
中世ヨーロッパ史専門の先輩から
中世ヨーロッパのあだ名文化についての論文を紹介されました。

岡地稔「ピピンはいつから短躯王と呼ばれたか:
     ヨーロッパ中世における「渾名文化」の始まり
     ―プリュム修道院所領明細帳カエサリウス写本・挿画の構想年代について―」
『アカデミア』人文・社会科学編 南山大学 2007年1月

この論文はプリュム修道院所領明細帳のある写本の挿画が
いつ頃描かれたか(あるいは現存写本が複製画を載せているなら原画が作成された年代)
を論じるための前提の前提として、
Ⅱ節 ヨーロッパ中世における「渾名文化」の始まり
を論じているのですが、
当該節の内容を短くまとめてしまうと、

もともと個人名のみで姓ないし家族名のなかったゲルマン社会の流れの中、
カロリング期に貴族たちは一族で限られた個人名を使用することで、
カールやルートヴィヒと聞けばカロリング王の一族だなとわかる、
すなわち個人名に姓の役割を持たせて自分たちの一族を
庶民から際立たせだした。
しかしそうするとその一族の中の誰かと誰かを区別するために、
(同時代の人同士、あるいは歴史上の誰かとどうしても名前がかぶるので)
渾名を用いて区別するようになり、
それは前時代メロヴィング朝の人物たち(小ピピンだの大ピピンだの)を
叙述する際にも用いられる手法となった。
中世後期には同じ個人名を一族で使いまわす慣例は庶民にも広がり、
渾名や地名が姓の前身となっていくのである。

といった具合です。
非常に勉強になった上に、楽しい論文でした。

岡地先生が作成した代表的な渾名リストを眺めているだけでも、

イヴァン財布公(モスクワ大公 1325-40)
毛深いヴィフレド(バルセロナ伯 873-898)
男子の一言のエリク(デンマーク王 1286-1319)
オーラフ肥満公(ノルウェー王 1015-30)
シャルル禿頭王(西フランク王 843-77)
フリードリヒまじめ候(チューリンゲン地方伯 1324-49)

などなど、興味深すぎる文化が中世ヨーロッパにはあったことがわかります。
ぜひご一読いただきたい論文です。
22:06 | 投票する | 投票数(6) | コメント(0) | 雑記