板垣麻衣子
2015年7月14日16時02分
「白い巨塔」「大地の子」などの社会派小説で知られる作家の故・山崎豊子さん(1924~2013)が、終戦の年に書き残した日記が見つかった。悪化する戦況への嘆きや空襲の恐怖がつづられており、山崎文学の一貫したテーマだった「戦争」の原体験がうかがえる貴重な資料だ。
昨年12月、遺品の整理をしていた新潮社の編集者らが、デビュー作「暖簾(のれん)」の創作ノートなどとともに、堺市の自宅で発見した。山崎さんが20~21歳だった1945年1月1日から3月27日までの3カ月間、A5判ノートに72ページにわたってペン書きされている。山崎さんの日記が見つかるのはこれが初めてという。
新潮社などの判読によると、「科学を軽んじ、神がかり式の信仰心で国家を護らんとして来た罪が、今こうした重大な結果を招来してしまったのだ」(2月16日付)などと戦争のまがまがしさに憤る。
3月13日には「この日は自分の生涯を通じ、又、自分の家の後代に至るも忘れる事の出来ない日だろう」として大阪大空襲の惨状を描写。家族とともに難を逃れた翌14日には「ああ、家は焼かれていた」「この無惨、惨状、戦争は絶対いけないものだ。人類の不幸は戦争から始まるものだ」と述懐している。
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