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評伝 岩田聡・任天堂社長 ゲーム愛しファン層拡大

産経新聞 7月14日(火)7時55分配信

 花札や、かるたの製造企業だった任天堂を世界的なゲーム機メーカーに育てた創業家の故・山内溥(ひろし)前社長が自身の後継者に選んだ男。若い頃からの逸話も多かった。高校時代には、IT企業の米ヒューレット・パッカード日本法人に独学のプログラムで完成させたゲームを送りつけた。あまりのできばえに同社が驚愕(きょうがく)し、パソコンに必要な機器をプレゼントした。

 ソフトを開発していたハル研究所に入社後も、2年はかかるとみられた、あるゲームの開発を半分の1年で完成させた。「あの人は頭がよすぎる」。多くの知人が「天才」と称した。

 社長に就いたのは、宿敵ソニーの「プレイステーション」にゲーム機市場でのシェアを奪われていた苦境期だった。「ファミコン」の愛称で知られる「ファミリーコンピュータ」に次ぐ、ヒット商品の投入が最大の懸案だった。

 そこでとった経営戦略は、現状のゲーム市場でメーカー同士が争うのではなく、新しいゲームファンを増やすことだった。

 タッチパネル式液晶を搭載した携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」や、フィットネスを楽しめるソフトが遊べる据え置き型のゲーム機「Wii(ウィー)」はその象徴といえる。ニンテンドーDSでは、語学や資格試験などの勉強ができるソフトが使いやすくなり、子供だけでなく中高年にもユーザーが広がった。Wiiシリーズには、大勢の家族が集まって遊べる工夫を凝らした。

 「本当にゲームが好きなんですよ」。常々こう語っていた天才が求めたのは、映像のリアルさや優れたプログラムではなく、幅広い年齢層に愛されるゲームだった。(藤原直樹)

最終更新:7月14日(火)11時12分

産経新聞