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2015.7.5 SUN
PHOTOGRAPHS BY DAIZABURO NAGASHIMA
TEXT BY KEI WAKABAYASHI
DJブラックコーヒー(以下BC)の左手は、彼が幼いときに不自由となった。現在もDJを行うときには片腕でプレイする。BCは、右手だけを使って60時間の耐久セットを務めたということで、世界記録保持者だということになっている。公式記録認定については異論もあるので、記録は記録としてそれ以上は重視しないでおこう。
南アフリカから飛び出て、世界でも注目されるDJとしての地位を地道に築いてきたBCの音楽には、そんな記録とは無縁なところで、人を動かす力がある。その音楽は、ミニマルで優雅で、聴くものを遠いどこかへと運びさる魅力がある。
BCの左腕が不自由となったのは、13歳のときだった。少年BCの人生を変えたその日をめぐる事情は、Resident Advisorが制作したヴィデオドキュメンタリー「The Origins」に詳しい。概要だけ記しておこう。
BCが育ったダーバンの町のみならず、南アフリカ全土がその日沸き立っていた。長らくロッベン島に監禁されていた反アパルトヘイトの闘士、ネルソン・マンデラがその日解放されたのだった。それは、南ア全土の黒人たちが待ち焦がれた日だったはずだ。人びとはストリートへと繰り出し、歓喜に酔いしれるはずだった。しかし、ダーバンの町で異変が起きた。
マンデラの敵対勢力に雇われた者が、トラックを暴走させ歓喜のパレードに突っ込んでいったのだ。13歳のBCは、運良く命を落とすには至らなかったが、その凶行に巻き込まれ、左手が不自由となった。犯人は、その場でトラックの運転席から引きずりおろされ、激昂したダーバン市民によって撲殺されたという。その死体は、何日も捨て置かれたままになっていた、と当時を覚えている人は回想する。
それは、南ア中の新聞を賑わす事件だった。その渦中に幼いBCはいた。しかし、BCは、怪我に見舞われたあとも、音楽の夢を諦めることなくもち続けた。そして、いまや南アを代表するDJアクトとして、母国では広く知られるにいたった。
上記ヴィデオには、彼が自分の母校の小学校を訪ねるシーンがある。「今日は特別なゲストが来てくださいました」と、校長先生が、全校生徒の前で告げる。ごくりとつばを飲み込み、ざわめきはじめる子どもたちに向けて「DJブラックコーヒーさんです」と、その名が告げられると、校庭は興奮のるつぼと化す。
世界のハウスシーンにおいては、まだ、あくまでもマニアックな部類に属する存在だが、この映像を見る限り、本国、少なくとも彼の故郷ダーバンでは、BCは、間違いなくレジェンドだ。子どもたちの熱狂ぶりは、映像で見る限り本物だ。
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