*仮説。実際はどうなんでしょうね。
SEOによる考察やレビューの言葉について
前提として言葉の意味は変質するものです。本来の意味が変わってしまい現在では別の意味、それも反対側の意味として使われているなんてこともざらです。言葉は生き物といわれる所以ですよね。
そこを踏まえて、ネット、ひいてはSEO(自サイトの検索順位を上げるためのテクニック。検索エンジン最適化とも呼ばれる)によって言葉の意味が変わってしまったものもあるんじゃないかなと思うわけです。
特にあらゆるサイトは「タイトルを重要視」しています。タイトルが目に惹かれないようではそもそもページを見てもらえませんからね。それはSNS目線でシェアされるタイトルだったり、GoogleやYahoo!などでは検索される場合でも同じです。検索エンジンはタイトルに含まれる「キーワード」を見ていますから。
だから企業もネバーも2chまとめもパイラルメディアも個人ブログも「記事タイトル」には気をつけている。例え記事の内容と違わなくても見栄えのいい、検索エンジンに取り上げてもらえるキーワードをそこに織り交ぜる。
そのせいか"考察"なんてしていないのに「AIR考察」とタイトルにつけるし、"レビュー"とは呼べないものでも「kanonレビュー」とするようになってしまったんじゃないでしょうか。
より多くの人に閲覧してもらおうという欲求が、本来の言葉の意味を、無視し、軽視し、使う原因になったのでは?
そもそも批評(Criticism)って作品に真剣に取り組み何度も読み込み、文学テクストが実際にどのように動くかを調べ研究し分析していたものが、今じゃ「作品"批判"」だと思い込んでいる人もいる。それは「作品批判だけをしている記事」を「批評」と多くの筆者が謳ったことから、このような印象になってしまったのかなって思います。
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「レビュー」って語源的に再び(re)見る(view)、つまり「見直し」であり評論・論評と意味だそうです。つまり批評と同義だと思うのですが、今じゃただ作品を機能毎に分解して評価を下しただけ、ちょっとした感想を述べたものという意味合いで"レビュー"が使われているのが現状です。
書評って英語にすると(Book review)なのに、書評と謳われる記事の内容を読むと"レビュー"なんてしていないし感想文だったりすることも多いです。感想文が悪いわけじゃなくて、言葉の意味と実情がズレてきているということですね。これも「書評」というキーワードをタイトルに入れたかっただけでしょう。
考察だって、"考え" "察する" ことで作品の物事を明らかにするという行為なのに、明らかに考えていない、作品を明らかにしていない、他作品と比較しているだけの類推(アナロジー)を考察と謳っている記事も多いです。そもそも"考え"ることは何か、無知の知を知らないのではないかとさえ感じられるものあって個人的にもにゃもにゃすることもあります。
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―――とはいえ、これからは本来の意味でキーワードを使用しろ、と言いたいわけじゃありません。
もうそういうものだし、「検索エンジンでよく使われるキーワード」はあらゆる人間が安易に使用し破壊され劣化していくのでしょう。私も例外じゃないですしね。それは止められないし、そんなもんだろうと思うわけです。
余談ですが、クローラー(ロボット)だけを意識してタイトルや記事中に適したキーワードを練り込むものの、人間が読むと中身がない、ペラペラなサイトが以前は溢れてました。しかしGoogleのアップデートによって根絶していっているようです。
おそらく今後はより「人間が読んで価値のある記事」の抽出精度が極端に高まり、「タイトルと中身が一致していない記事」は弾かれ、「タイトルがそっけなくても中身のある記事」は価値あるものと判定され適した検索順位になる可能性もあるのかな?と想像してます。
もうGoogleはここまで来てるので、御伽話ではないはず。
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Googleの人工知能が描いた絵怖すぎわろた pic.twitter.com/MyCJbNXSWG
— ぜるくん (@5awi) June 22, 2015
あとタイトルを意識してキーワードを入れるのは「適している記事」ならば、検索し目的の情報を探す立場として有り難いことなので、必ずしも悪いことではないんですよね。ということを添えておきます。
さてこの仮説は実際のところどうなんでしょうね。私的にはわりと納得しちゃう感じなのですが。
あなたはどう思いますか?
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