2015-06-23

嫁が女性を諦めた日

きっかけは些細な事だった。

お互い喧嘩とも言えないような言葉を2つ3つ投げかけあっただけなのだ

ただ、その言葉の一つ一つにはそれまでに積み上げられていたあまりに多くのストレスが込められていたのだ。

結婚して5年。2人の子供は親の命令に背くことで自尊心を築こうとする時期にあった。

そんなことども達をうまく誘導せんとし、嫁は散々の手を尽くしたのだろう。最近ではちょっとしたことでもすぐに大きな声を上げるようになったのだ。

そのことを悔やんではまた優しい素振りを見せ、そんな母親の姿に増長した子どもたちはまた母親を怒らせた。

毎日とはそんなことの繰り返しなのだろう。

わたしはといえばそんな嫁に少しでも楽をさせてやりたいと家事には積極的に参加し、嫁が実家に帰りたいといえば喜んで送ってやったものだ。

嫁は専業主婦である。とはいえそのことで労働の優位を語るつもりはない。

嫁は文字通24時間家事に追われる生活を繰り返し、寝ても覚めても子どもたちから逃れることが出来ないのだ。

からせめて仕事から帰った後の家事には参加しているし、仕事に出る前も子ども幼稚園の準備をひと通り手伝うようにしている。

休みの日も無駄に過ごす事のないように子どもたちを連れて外に出ては、それこそ休むことなく過ごしているのだ。

仕事ストレスだって極力家に持ち込まないようにしている。

嫁もそんな自分を気遣ってか、家事に対して愚痴をこぼすようなことはない。

目の前で子どもに対する感情を乱しても、見事な早さでリカバリして見せるのだ。

そんな中ささいなことが原因でトラブルが起きてしまった。

まだ子どもたちが目覚める少し前、自分たちの支度に追われる朝のことだ。

どちらが先に仕掛けたわけでもない。どちらかが何の気なしに放った言葉に、どちらかが何の気なしに返したつもりだったのだ。

お互い投げかけあった言葉は書き連ねるほどでもない大したことのない言葉だ。

ただ、互いがそれを思いやりというストレスからやっとの思いでひねり出した言葉でもあった。

そうして互いに投げかけられた言葉にお互いが言葉を返すことが出来なかったのだ。

目覚めた子ども母親を呼ぶ声で、会話を続ける機会は失われてしまった。

そのまま仕事に出たわたしは、日中何度となく謝りのメールを入れようと考えていた。

しかし、お互いが思いやりの上で口にした言葉に謝る理由を見いだすことはできなかった。

ともすれば、そうやって謝ることで有耶無耶にしてしまおうとも取られそうな気がしてしまったのだ。

そのまま時間ばかりが過ぎ、結局家に帰るまでで何も出来ないままでいた。

そうして玄関を上がると予想していたよりも遥かに明るい声で「おかえり」の言葉が響いた。

なんだ。わたしだけが気に病んでいただけなのかもしれないと、一人そっと胸をなでおろしたのだった。

夕食時も何事も無く過ぎていくようだった。

相変わらず言うことを聞かない子どもたちと、怒っては優しさを見せまた怒り出すことを繰り返す嫁がそこに居た。

わたしばかりが勝手に気に病んでいたのだと改めて考えていた時の事だった。

食事を終え、テレビリモコンに手をかけてからだ。

まるで見たことのないような嫁が姿を見せたのだ。

テレビ出演者に向かって話しかけるかのような声で意見を言い、まるでテレビの中に参加しているかのように内容に同調し、感情を露わにしているのだ。

芸能人の色恋沙汰に対しまるで評論家の様に意見飛ばしテレビの中で窮地を迎える人間に向かって知人を心配するかのように声を上げているのだ。

わたしがここにいることなんてまるでかまうでもなく、まるでどこか世界の垣根が崩壊してしまたかのような姿だった。

そこには今まで慎ましやかにわたしと世間に対する意見を交わしていた嫁の姿はなかった。世に言うおばさんが突如として目の前に現れたのだ。

まるでバリバリと音を立てて、嫁という女性の皮を破っておばさんが生まれてくる姿を目の当たりにしてしまった気分だった。

どうしてそんな心理的状況に至ったのか、そのメカニズムは全く持って理解できない。

しかしわたしには自分世界境界曖昧にすることで、自らのストレスを少しでも軽くしようとする姿にも見えてしまったのだ。

これがひとつの、女性女性を諦める瞬間なのかもしれない。

そう思えば、わたしはそれを受け入れようと思った。

それほどのまでのストレスを解決できないでいたのはわたしであるし、これもひとつ、嫁のあるべき姿に違いないのだから

きっとこれからもこうして何かしらのストレスとぶつかる度に嫁の中で少しずつ世界との垣根が壊れていくのだろう。

その度に皮を破って新しい生物が生まれ、それを繰り返した挙句にヒョウ柄を身にまとおうとも頭髪を紫に染めようとも、わたしはそんな嫁を受け入れようと思う。

それこそが結婚という契約に刻まれている遵守事項であり契なのだ

いつか自分も今のスキンを捨て新しい生物として生まれ変わるのだろうか。

頭髪が抜け落ちる本数が減らないのはもしかしてそんな予兆なのかもしれない。

そんな不安を抱えながらも、世の中に対する疑問(おばさんはうまれながらにしておばさんなのかという命題)がひとつ解決した記念にここに記す。

わたしにとって書くことは贖罪です。

禁じ得ないショックをせめて文章に起こし、明日に進むための糧となる賛否意見を頂ければ幸いです。

トラックバック - http://anond.hatelabo.jp/20150623111621

記事への反応(ブックマークコメント)