記事詳細
【日本の源流を訪ねて】
エレベーター方式の“開運橋” 筑後川昇開橋(福岡県大川市、佐賀市)
福岡県と佐賀県の境、筑後川の河口付近に、遠目からも目立つ赤色の「筑後川昇開橋」(全長500メートル)が、かかっている。船を通すために橋桁の中央部分が、エレベーターのように垂直に上下する昇開式可動橋だ。この仕組みの橋は国内に、筑後川昇開橋1カ所しか現存しておらず、年間に約5万人が訪れる人気観光スポットとなっている。
佐賀駅(佐賀市)と瀬高駅(福岡県みやま市)を結んでいた旧国鉄佐賀線(全長24・1キロ)の鉄道橋として、今から80年前の昭和10年5月に開通した。
石炭など物資を運搬する貨物列車のほか、通勤通学客の乗った客車が行き来した。だが、自動車時代の到来とともに、乗客は減少した。国鉄分割民営化直前の昭和62年3月に佐賀線が廃止となり、鉄道橋としての使命を終えた。
だが、昇開橋は消えなかった。平成8年に線路部分が撤去されてからも橋は保存され、遊歩道が整備された。
平成15年には国の重要文化財に指定された。19年には日本機械学会から、機械技術の発展史上、貴重な施設だとして「機械遺産」に認定された。地元ではいつしか「開運橋」と呼ばれるようになった。
地元住民に親しまれる橋だが、建設は難工事だった。
九州最大の河川である筑後川は、多くの船が往来した。通常の橋では、800トン級の大型船舶が通過する際にマストが橋桁に当たってしまう。そこで、通過時以外には橋桁の中央部を上げる仕組みが採用された。
筑後川河口周辺は干満の差が大きい上に、地盤も軟弱だ。橋脚14本の設置工事は困難を極めた。
ようやく脚が立った後、橋桁を設置する際も工夫を要した。福岡県内の造船所で組み立てた橋桁を2隻の台船に乗せ、満潮時に合わせて現場に運んだ。橋桁の両端を橋脚に乗せ、干潮を待つ。潮が引くと、台船が下がり、橋桁だけを橋脚に残すという寸法だった。
橋のうち、福岡県大川市寄りに、モーターで上下に動く部分がある。可動するのは全長500メートルの橋のうちの24メートルで重さにして48トン。可動部の両端にはそれぞれ、高さ30メートルの鉄塔が建つ。風速60メートルの強風にも耐えられる構造だ。
橋を上下させる機械室は、鉄塔の足元部分にある。操作員がボタンを押すと、室内の巻き上げ装置が動き始め、鉄塔上部の滑車が回り出す。そうして、5分間で高さ23メートルまでゆっくりと上昇する。
筑後川昇開橋観光財団(大川市)によると、今では1日に8回、上下させており、毎週月曜日以外は日没から午後10時までライトアップもされている。
橋の周辺ではこの季節、有明海だけに生息する魚「エツ」が旬を迎える。近くの料理店ではエツ料理が楽しめる。このほか、車で5分ほどの場所には、世界文化遺産登録を目指す幕末佐賀藩の海軍本拠地「三重津海軍所跡」など、歴史を学ぶことができるスポットも多い。
可動橋を上下させていた同財団の操作員、古賀満義さん(60)は「ノリ漁に出る船や早朝のエツ漁を間近に見たり、四季を感じることができる。そんな橋の魅力を多くの人に楽しんでもらいたい」と目を細めた。(村上智博)