貴ノ浪急死:元横綱・武蔵丸「心の広い人だった」

毎日新聞 2015年06月21日 22時49分(最終更新 06月21日 23時57分)

現役時代にはライバルとしてしのぎを削った貴ノ浪(左)と武蔵丸=名古屋市内で2000年7月14日、大竹禎之撮影
現役時代にはライバルとしてしのぎを削った貴ノ浪(左)と武蔵丸=名古屋市内で2000年7月14日、大竹禎之撮影

 大相撲の元大関・貴ノ浪の音羽山親方が43歳の若さで急死してから一夜明けた21日、現役時代のライバルだった元横綱・武蔵丸の武蔵川親方が東京都内で取材に応じた。武蔵川親方は「気持ちの整理がつかない」と早すぎる別れを惜しんだ。

 2人は同じ1971年生まれ。91年九州場所での新入幕も、94年初場所後の大関昇進も同時だった。ともに大関だった99年春場所千秋楽結びの一番では相星で対決して武蔵丸が寄り切って優勝。58回の対戦で37勝21敗だった武蔵川親方は「今の関取にはない、しぶとさを持っていた。リーチが長く、足技もあり、何をしてくるかわからない。嫌な相手だった」と振り返る。巨漢の武蔵丸と長身ながら枠にはまらない取り口だった貴ノ浪は名勝負を繰り広げてきた。

 武蔵川親方には心に残る姿がある。2003年九州場所で自らが引退した際に「(貴ノ浪が)支度部屋で泣いてくれた。なんて心の広い人なんだと思った」と懐かしむ。04年夏場所まで現役を続けた貴ノ浪に武蔵川親方は「けがをしないようにと思って見ていた」と思いやった。しのぎを削ったからこそ、認め合う間柄となった。

 現役中は対戦相手であり、あまり話さなかったという2人も、引退後は打ち解けた。「相撲の話はしないが、酒や食べ物の話をして、冗談ばかり言っていた」と武蔵川親方。「友達が1人、いなくなってしまった」と、寂しそうにつぶやいた。【村社拓信】

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