(前回から読む)
建築家/「SANAA」「妹島和世建築設計事務所」代表取締役。
1956年茨城県日立市生まれ。日本女子大学家政学部住居学科卒業後、81年に同大学院修了。伊東豊雄建築設計事務所への勤務を経て、87年に妹島和世建築設計事務所を設立。95年に、建築家の西沢立衛とともに「SANAA」を設立。主な作品に「金沢21世紀美術館」(金沢市)、「ディオール表参道」(東京都港区)、「ニューミュージアム現代美術館」(NY)、「ROLEXラーニングセンター」(スイス・ローザンヌ)、「ルーブル・ランス」(フランス・ランス)。2009年にフランス政府より芸術文化勲章オフィシエを受勲。10年にプリツカー建築賞を受賞。2015年第28回村野藤吾賞を「犬島・家プロジェクト」で受賞。(写真:鈴木愛子、以下同)
妹島さんは建築家であり、建築設計事務所の経営者でもあります。建築という形而上の世界と、経営という形而下のそれとは、どのようにバランスできるものか、うかがっていきたいと思います。
妹島:現在、私たちが拠点として使っている場所には、3つの事務所があるんです。ひとつは「妹島和世建築設計事務所」、もうひとつはパートナーの「西沢立衛建築設計事務所」、あとひとつが、私と西沢とのユニットである「SANAA」です。
拠点は東京の運河沿いにある倉庫で、広大なワンフロアの真ん中を、ベニア板で作った本棚の通路が通って、ふたつの空間に分かれています。
妹島:高校の文化祭で作る迷路みたいな仕切りですよね(笑)。右が私の、左が西沢のテリトリーで、所員は総勢で40〜50人です。
「妹島〜」を設立したのが1987年で、「SANAA」が95年。去年、長く勤めていた所員3人に、SANAAのパートナーになってもらうことを決めました。
パートナーの立場とは、現場での決定権を持ち、かつ事務所の経営にも関わるということですか。
妹島:そうですね。SANAAの設立から18年たって、そういう編成が必要になってきたんです。というのは、海外での仕事が増えると、それぞれの場所で建築設計のフルサービスを提供することが求められるので。
フルサービスとは、地元の建築家や事務所と組んで、実務的なサポートを得るのではなく、全部SANAAが担当するということですよね。
妹島:ローカルアーキテクト(地元の建築家)を雇うにしても、私たちが基本設計の責任を全部持てというようなことを求められたりします。
為替の影響はもろに出ます
妹島:プロジェクトが始まった時は、私と西沢が打ち合わせに行って、ある時点からパートナーの比重が大きくなる体制になりつつあります。事務所内では私たちの方が年上なので、「なんで上が来ないんだ」と、施主はすぐには納得してくれないこともありますが、こっちも歳を取っちゃって、そんなにすべての現場に足を運べなくなってきまして(笑)。新しくパートナーになってもらった3人には、パリを初め海外や国内の拠点に常駐してもらって、みんなで分担をしていけたらいいなと思っています。
新しくパートナーに就任したメンバーも、もちろん建築家で、経営のエキスパートではないですよね。ということは、パートナーの方々も、建築と経営の両立という責任が生じるんですか。
妹島:その経営なんですが、経営についてすごく考えているかというと、何となく大雑把な感じなんですよ(笑)。今まで、1年に1回、大きめのコンペ(設計競技)に勝って、だいたい数十人の規模で事務所を回してきました。だから1年に1個、それが無理な場合は、1年半に1個、大きいコンペに勝ちたいな、というような感じで、ざっととらえてやっています。
ということは、コンペが経営の要なんですか。
妹島:そうですね。もちろんオフィスや住宅などの中小規模の仕事もあり、そちらはそちらで面白く取り組んでいますが、経営の点から考えると大きな仕事が必要です。
今、進行中のプロジェクトは、パリ1区の再開発「ラ・サマリテーヌ」を初め、ミラノ、エルサレム、あるいは国内でも「すみだ北斎美術館」など、注目度の高いものばかり。世界トップレベルの勝率だと思います。
妹島:それはありがたいことなんですけど、コンペに勝ったはいいけれど、蓋を開けてみたら、あまりに私たちの負担が大き過ぎて断りたい。だけど、コンペで勝っちゃっているから、どうしようもないよね、というケースもあります(笑)。やはり一度案を考えてしまうと、無理が大きくても実現したくなりますから。