【記者手帳】「米国通」と「中国通」

 リー・クァンユー氏はトウ小平氏との信頼関係に基づき、中国に対して積極的に投資を行った。1993年にオープンした蘇州工業園区は、中国の労働力とシンガポールの資本によって成立したものだ。これは1989年の天安門事件で中国から撤収していた海外資本が再び戻るきっかけとなった。1978年においてシンガポールの貿易全体に中国が占める割合はわずか1.8%だったが、2013年には11.8%、914億ドル(約11兆円)にまで拡大し、マレーシアを抑えて1位になった。

 しかし中国にとって古くからの友人だったはずのリー・クァンユー氏は、中国がシンガポールにとって安全保障上の脅威になったと判断すると、米国に「中国脅威論」を訴え続けた。リー・クァンユー氏は2013年にワシントンで行った講演で「米国がアジアで中国の軍事力、経済力をけん制しなければ、世界の覇権国としての地位を失う恐れがある」「中国が最強国となれば、他のアジア諸国はこれに対抗することができない」などと主張した。これは米国の「アジア回帰」を批判していた中国に、少なからず衝撃を与えた。

 韓国の外交関係者の間では、いつの頃からか「米国通」「中国通」という言葉が聞かれるようになった。米国で太い人脈を持ついわゆる「ワシントン・スクール」は「同盟国(米国)の価値観を軽視する人間たちがいる」と主張する。これに対して中国で長く勤務した「北京スクール」は「米国一辺倒の外交そのものが問題」としてこれに反論する。ちなみにエズラ・ボーゲルは「大きな外交」という考え方を実践したリー・クァンユーについて「現実主義者であり、祖国に忠誠を尽くした。大勢を読み取る長期的な眼識に優れていた」と評したが、「米国通」だとか「中国通」といった言葉は使わなかった。

北京=アン・ヨンヒョン特派員
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