マハンという人物の名前をご存じだろうか。
司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』の中で、主人公の一人である秋山真之がお世話になった人物と言えば、ピンとくる人がいるかもしれない。
秋山真之は、日露戦争(1904〜05年)における海の決戦、日本海海戦で作戦担当の参謀を務めた英雄である。
この秋山は、日露戦争前に戦術のヒントを得ようとして、当時できたばかりであった米国の海軍大学に留学して、アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred Thayer Mahan:1840〜1914年)に師事した。マハンは当時、この米国海軍大学で校長を務めていた。
本稿では、このマハンが地政学に残した重要な3つの点を指摘したい。
シーパワー論の父
第1に、マハンはシーパワー論を論じた。
マハンは『海上権力史論』という本を1890年に発表している。一般的にはこの本を通じて、この頃から始まった米国の海外拡張の動きを支える思想的土台を作った人物だとされている。
マハンの議論はいたってシンプルで、「海を制するものが世界を制する」というものだ。海(シー)の権力(パワー)を握ったものが世界を制してきたから、というのがその理由だ。一般的に、これは「シーパワー論」と呼ばれている。
マハンは遠洋航海で幕末の日本に訪れたことがある。米国海軍の軍人として南北戦争にも従事した。ただし、軍人としてはそれほど優れた業績を残していない。実は船酔いがひどく、何度か船を衝突・座礁させかけたこともあって、現場よりも陸での勤務を好んでいたようである。
そんなマハンが論文を書く過程で書きためた欧州の海軍史についての原稿をまとめたのが、上述した「海上権力史論」である。マハンはこの論文で優秀さを認められて海軍大学の教官となった。
この本を発表したタイミングがなんとも劇的だった。というのも、1890年という年は、ちょうど、米国における「フロンティア」が消滅したと、米政府が国勢調査で宣言した年だったからだ。つまり米国が北米大陸という広大な土地をすべて支配下に収め、海外に目を向け始めた時に、マハンがこの本を発表したのである。
しかもその主張は、「米国は英国の歴史に倣う形で海軍力を増強して、世界に権力を拡大していくべきだ」と受け取れるものだった。
喜んだのは褒められた英国のエリートたちだけでなく、米国の海軍関係者を中心とする軍人や政治家たちであった。マハンがまるで、これからの米国のゆくべき道を教えていたよう見えたからだ。
この功績を認められて、マハンはすぐに海軍大学校の第2代目の校長に就任し、国際的にも名声を博することになった。マハンのアイディアを喜んで受け取った国の一つが、当時世界有数の海軍を建造中だった明治の日本であったことは言うまでもない。