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Danas je lep dan.

2015-04-06 この不毛感

[]東浩紀氏がアイヌ民族に関して無知をさらけ出している件

 見事なまでに典型的な先住性の否定のテンプレをたどっているなあ……という。もちろん東氏はアイヌが「民族」であることは認めているのでアイヌ否定論者とは一線を画されるべきではあるけれど,「先住民族」であるという部分に対しては何も言ってないというか寧ろ否定してるので,でもそれは結局のところ幕末・明治以降の和人=アイヌ関係における植民地主義を否認していることになってしまわないだろうか,という。

 アイヌは単に民族であるというだけでなく先住民族としての権利を有しているわけで,その「先住」の部分を切り捨てて“アイヌは民族だと思います”と言われても,なんというか非常に微妙な気分になる。で,さらにこんなことも言ってる。

 なんかソーゼツな勘違いをしておられるような。確かにある民族に帰属しているかどうかを最終的に決めるのは本人の自己決定だけど,でもそれは「自己決定で好き勝手に変更できる」ことを意味しない。ひとは何かの民族の中に生まれ落ちて余程のことがない限りそこから離脱しないし,離脱して他の民族共同体に参加しようとするには大きな困難を伴う。アイヌ民族否定論に抗する論者が「自己決定」を強調するのは,アイヌ民族の中にも和人の血を引くひとが大勢いることを捉えて「こんなに和人の血が混じっているんだからアイヌは独自の民族とはいえない! 既に同化している!」と主張する否定論者がいるから,「いくら和人の血が混じっていようが,アイヌ民族という自意識を持っていることが重要なのだ」と主張しているのであって,民族帰属の融通無碍な可変性を主張しているわけではないです。

 ここまでの流れは,まあすごい好意的に解釈すればこれまで哲学思想には関心を持ってきていたけれど民族問題についてはイロハのイすらわかっていなかったというだけの話なのだろうけれど,以下は哲学にしか興味ないひとにとってもヤバいとわかる話のはず。

 異民族が“民族っぽくない”現状を問題にし,その解決のために“国策として民族色を出すようにすればいいんじゃないかな”って,それ本気で言ってます? “民族っぽくない”が問題だという前提がまずおかしいし,その前提に則って言っていることはグロテスクすぎて笑えない。どこがグロいのか説明が必要だとしたらもうほんとにどうしようもないと思う。

 で,こんなこと言ってる。

 今すごく傷ついているひとがいるテーマに自分から雑な言及をしておいて批判されるとテーマのめんどくささに責任を転嫁するの,単にネット上の処世術としても筋悪だしもうこのひとは社会問題についておおやけの場で語らない方がいいんじゃないかと思う。というかネットで話題になってることがらに興味半分で首突っ込んででもネット上の“論争”の図式しか見えてないもんだからそれを前提にして問題を語ってヤケドするの,南京事件についてテキトー言ったときから変わってなくて本当にアレ。

 関連過去エントリ:

 学術的成果を悪用する回路――「純粋な民族はいない」論をめぐって - Danas je lep dan.

 金子やすゆき札幌市議の嘘と詭弁ともの知らず - Danas je lep dan.

 「単一民族国家」の多数派は,ふだん自分が何民族であるかを意識しないでいられる - Danas je lep dan.

 チセに住んでないとアイヌ民族じゃないと言うなら背広を着ているあなたはいったい何民族? - Danas je lep dan.

 参考:

 東浩紀氏の印象操作的「批判」について - Close to the Wall

 ポモ系リベラルは気楽な稼業と来たもんだ〜♪ - Apes! Not Monkeys! はてな別館

 なにをもって尊重というのか - 過ぎ去ろうとしない過去

 「政治」を「する」ことと「政治」で「ある」こと - 過ぎ去ろうとしない過去

追記

 東さんがtwitterで反論してたけど,なんというか,しない方がいい反論ってあるもんだよねと。

 誰も東さんのことをアイヌ否定派なんて言ってないのに……

 見事なまでに典型的な先住性の否定のテンプレをたどっているなあ……という。もちろん東氏はアイヌが「民族」であることは認めているのでアイヌ否定論者とは一線を画されるべきではあるけれど,「先住民族」であるという部分に対しては何も言ってないというか寧ろ否定してるので,でもそれは結局のところ幕末・明治以降の和人=アイヌ関係における植民地主義を否認していることになってしまわないだろうか,という。

 この文章が「東浩紀はアイヌ否定論者だ!」という文章に見えるなら批評家を廃業した方がいいと思うし,「民族」か「先住民族」かというのは大きな違いであり東さんの論理だと後者であることを否定しているように読める,という文章に対して「そんなに言葉が大切なら先住民族でもなんでもいいですよ」と返すなら哲学者としてなにか大切なものを何処かに置き忘れてきている気がする。

 和人とアイヌとのあいだに古くからの影響関係や往還があるのは常識でしょう。瀬川さんのこれまでの本(『アイヌの歴史』『アイヌの世界』講談社選書メチエ)でもそういうダイナミクスは描かれてきた。もちろんアイヌ史に興味のないひとが知らなかったのは無理からぬところであってそれを責めるつもりはないけれど,そういうことを全然知らなかったひとが瀬川さんの本をもって「先住といえるのか」みたいなところまで話を持っていってしまうから批判しているのであって……。

 自分の勉強不足をテーマの「めんどくささ」に責任転嫁してdisるの本当にみっともないし,それがマイノリティについての言説だとしたらなおさらマイノリティの不可視化に加担していると言われても仕方ないのでは。

さらに追記

 最初の2ツイートだけでけっこう酷いのに最後のツイートも入れると役満感ある。

 そういうのは可能な限り注意深い手つきで対象を扱った上で言ってください。それに東さんの言ってることこそ「万能な言い抜け」であるようにしかわたしには見えないです。相手を「万能論法を振り回すポストモダン左翼」と言っているだけなんだもの。

 ご専門のデリダとかドゥルーズとかフーコーとかラカンとかの話だけして専門外の南京事件やアイヌの先住性とかの問題には首を突っ込まれない方が遥かに良かったのではと思いますよ。いやほんと。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2015/04/06 13:29 アイデンティティが恣意的に変更可能だとあずまんは言っているに等しいわけで
これだけでもう哲学者として三流以下のカスだと明白になっちゃってますね。

かかしかかし 2015/04/06 13:44 小林よしのりにしろ、こういう人にしろ、民族の定義とかじゃなくて、アイヌでいたい人がアイヌでいられなくなることが問題なんですけどもね。
民族ってことにしか言及していないから、彼らの辿ってきた歴史に触れられないし、ましてや「観光」とかいう最悪の言葉が出てくる。
私もアイヌの博物館に修学旅行でいったクチですけども、民族や文化って本来はそういう見られる対象じゃないし。アイヌを見世物にしようとする最悪の発想。

アイヌ文化を保護するっていう言い方が正しいのか分からないけど、アイヌの人々が自分の民族的アイデンティティを確認する術を無くすということがないように、彼らの言葉や風習を守らなきゃいけないんだよなって思えば、利権だのヘイトだのっていう話にはならないような気がするんだけども、そうじゃないんだろうか。

MukkeMukke 2015/04/06 13:51 tikani_nemuru_Mさん>
わたしフランス現代思想についてはせいぜいフーコーとかその辺を齧っただけなんですが,現代フランスの多文化主義をめぐる問題とかって畑違いとはいえ現代思想やってれば耳に入ってくるものだと思うんですが……という。

かかしさん>
>アイヌでいたい人がアイヌでいられなくなることが問題
うまい言葉が見つからなかったのですが,それはいい言い回しですね。積極的にパクらせていただきます。

>民族ってことにしか言及していないから、彼らの辿ってきた歴史に触れられない
最近アイヌ問題にも手を広げ出したしばき隊のひとがあずまんのツイートを擁護してましたけど,先住民族であるということに触れないアイヌの権利擁護なんて片手落ちでしかないので,やっぱりそういう系だったかー,という納得が。

アイヌ文化を博物館で展示すること自体は,和人の文化がそうであるように結構だと思うんですが,問題はそこに植民地主義的な眼差しが入り込んだり,アイヌ文化を「博物館の中」だけに閉じ込めてしまいかねない点ですよね。マンガやアニメが現代日本の文化なら,アイヌ文化だってもっと多様なものであるはずなのに。

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