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元アイドル宍戸留美さん 月給7万円から声優までの紆余曲折

日刊ゲンダイ 4月6日(月)9時26分配信

 90年に歌手デビューし、アイドルとして人気を得た宍戸留美さん(41)。テクノ調の曲と個性的な衣装のコミック路線が従来のアイドルと一線を画し、熱烈アピールした。今どうしているのか。

■アイドル時代の月給は7万円だった

 会ったのはJR信濃町駅に近いカフェ。いや、41歳とは思えないかわいらしさだ。

「ありがとうございます。それって、苦労してないように見えるんでしょうか? ワタシ、好きなことしかやってこなかったし、フフフ」

 宍戸さん、サラリとこういった。92年に事務所を辞めてから、ずっとフリーで活動してきたそうだ。しかし、92年当時まだ18歳ぐらい。ただ「好きなことしかやってこなかった」わけじゃないだろう。

「15歳で広島から出てきてデビューした後は、マネジャーがいつもそばにいて何でもやってくれたので、事務所を辞めた時は買い物もひとりではできないくらい、“フツーの感覚”がなくなってました。でも、バラエティーの仕事をさせたい事務所と、歌や演技がやりたいワタシとは方向性が違ったため、契約が切れた2年で辞めたんです。当時は絶望のどん底でした」

 知り合いのツテでスタイリストをしたり、六本木のIT企業でお茶くみや議事録作成のアルバイトをしていたところ、声優の声がかかった。

「ワタシのアイドル時代のアルバムを聴いた東映の女性プロデューサーの方が、オーディションに呼んで使ってくださったんです。生きてて良かった! と思いましたね」

 声優はメーンの仕事となり、アニメ「おジャ魔女どれみ」(テレビ朝日系)の瀬川おんぷや、現在オンエア中の「はなかっぱ」(NHK・Eテレ)のヒロインのももかっぱちゃんなどを担当している。

「歌手としては、リリー・フランキーさんがインディーズ・アイドル専門のレーベルを立ち上げるって噂を聞きつけて売り込み、50万円で『SET ME FREE』ってアルバムを出しました。広島にいる母に、“倍にして返すから!”ってお願いして、50万円送ってもらったんです。それが20代で、30代は『CHERBOURG→BRIGHTON』『女』『ルミネッセンス』というアルバムを3枚出し、歌の営業やライブをやってきました」

「最初、1本30分のステージで20万円ほどいただいた時は、本当に驚きました。だって、事務所にいた頃の月給は7万円。そこから衣装代も交通費も自分で払わなくちゃいけなくて、実家から仕送りをしてもらってましたから。事務所にいた2年間で、1000万円ぐらいもらったと思います」

 苦労したんだなあ。

■電話で怖い感じの男から脅された

「ただ、それで強くなれて今がある、と思ってます。このところ歌の仕事はちょっとお休みして、声優のほかはワタシのデビュー20周年で募集した妹分の蝦名恵さんのプロデュース、YouTubeとか3チャンネルで流す2時間の音楽番組の制作、サイト『日刊サイゾー』で写真の連載とかをやってます」

 プライベートはどうなのか。結婚は?

「そのへんはお話しできないんです。“人間らしく暮らしてます”ということで、フフフ」

 さて、宍戸さんは89年、「ロッテ CMアイドルはキミだ!」でグランプリを受賞し、90年から活動をスタート。可愛いだけのアイドルとは異なる、個性的なテクノ・アイドルとして人気を得た。

「事務所を辞めた後、怖いことがたくさんありました。夜中の2時くらいに連日、“こちらから通報があったんですけど”と消防署の方が来たり、家にすっごい怖い感じのオトコの人から電話があって、“今からセックスしに行くぞ!”と脅されたこともあります」

 3月7日に公開された映画「世界の終わりのいずこねこ」に出演。また、岡山県赤磐市の「岡山ドイツの森」20周年記念CMソングが放映中だ。

最終更新:4月6日(月)9時26分

日刊ゲンダイ

 

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