相撲については、もう、何も書かないつもりでいた。
理由は、何をどう書いても、当コーナーでこれまでに何回か訴えてきた内容と重複するに違いないと考えたからだ。それほど、大相撲の世界は外部からの批評に対して耳を閉ざしている。
何を言ったところで何も変わらない。だから何も言いたくない、と、そう考えたわけだ。
見放したという受け止め方をしてもらっても良い。
今回、重複する内容になることをある程度覚悟した上であらためて白鵬の舌禍事件をめぐる反応について原稿を書く気持ちになったのは、この度の一連の出来事への日本相撲協会およびそれを取り巻くスポーツジャーナリズムの頑迷固陋な振る舞い方が、ここ数年の日本の政権の中枢に見られる特徴的なマナー(一部から「歴史修正主義的」と呼ばれ、「復古的」「強権的」と評されている態度)と、深いところでつながっているように思えてきたからだ。
もしかしたら、相撲ファンの声援の中に目立ち始めている外国人嫌悪は、もっと広い範囲の相撲とは無縁な日本人の間で共有されている時代の「空気」なのかもしれない。
だとすると、これは大変にやっかいなことになる。
お・も・て・な・し
どころではない。
う・ら・ご・ろ・し
だぞ。
この5年ほど、大相撲の世界には、ひどいことばかりが起こっていた。
朝青龍の周辺に起こった一連の暴力沙汰や、横綱の「品格」をめぐる論争、八百長や賭博やクスリに関連する根の深い噂、部屋ぐるみのいじめやシゴキ、親方株の譲渡に伴う不透明なカネの動き、舎弟企業との付き合いにかかわる未確認情報などなど、毎場所のように不祥事が浮かび出てきて、その度に、やれ「膿を出しきれ」であるとか「再出発しろ」といった不毛な合い言葉が語られてきた。
にもかかわらず、相撲界の閉鎖体質はほとんどまるで変わっていない。
で、いま、その閉鎖体質の矛先が、現在の相撲界で最も優れた力士である横綱白鵬に向けられている。
好角家として知られるさる漫画家は、この度の白鵬の優勝について
「まことに不幸な優勝」
であったという主旨のコメントを残している。
経緯を振り返っておく。
白鵬に関して言われている「不祥事」とは、具体的には、前の場所(平成27年初場所)の千秋楽に白鵬が審判の判定に対して不満を述べたことを指している。
これが、「舌禍事件」として取り上げられ、現在に至っている。