はじめに
「Gのレコンギスタ」最終話を視聴。
ベルり達の冒険がこれから始まるという幕引きだった。
宇宙、月、金星まで行って地球に戻ったベルリが下した結論は、
もう一度世界一周という旅をすることだった。
そして姉のアイーダはクレッセントシップで再び宇宙の旅に出る。
旅する事で得られるサムシングをベルリは、再び手に入れたかったのだろう。
元気いっぱいの未来へ繋がるラストだった。
さて、私が気になったのはベルリの旅の始まりの場所が日本のある場所だったこと。
そして旅の道中でベルリが話した老夫婦についてだ。


ピンクの服を着てメガネの老人。どう見ても声を聞いても富野監督自身である。
その傍らにいる女性は、富野監督の奥さんの亜阿子さんであろう。
そしてベルリ達の奥では新幹線のようなものが走り、
さらにその奥には富士山がある。
富野監督、奥には富士山、新幹線のようなものが走っている。
この3つの要素から導き出されるのは、
ベルリ達が話すこの場所が富野監督の出身地である「小田原」だということだ。
私は震えた。
富野ガンダムで「小田原」が描かれたことに。
(※リーンの翼最終話最後のお墓のシーンはおそらく小田原)
富野監督と小田原
富野監督は神奈川県の小田原について以下のように語っている。
そういう態度で親が生活をしていると、いくら小田原で生まれ育っても、そこを故郷と感じることは難しい。“地つき”と呼ばれる、土地に根ざした感覚が生まれることはなかった。
出典:「ガンダム」の家族論
僕の家庭は余所者であったから、地つきの人に違和感がなかったとはいえない。だから、僕は小田原を捨てられると考えたのだ。
出典:だから僕は
富野監督は出身地の小田原で小中高を過ごしたのだが、
両親が東京から小田原に移り住んだ経緯と親から小田原は本当の故郷ではなく
東京が本来の生まれ育つ場所だったような事も言われたようだ。
こうした両親の価値観や事情が富野監督の小田原への想いを複雑にし、
小田原を故郷であって故郷でないような感覚にしてしまったようだ。
この故郷であって故郷でないという感覚が
宇宙漂流ものの作劇を自然に描いてしまうことに繋がり、
もしくは過去の作品で幾度も見られた
自分の居場所が無い人間が故郷を目指す・ルーツを探す物語を志向する
富野監督の作風を決定する要因の一つだったと思う。
富野監督を考えるにあたり「小田原」は最重要キーワードの一つなのかもしれない。
元気のGの始まりの場所としての「小田原」
そんな小田原がベルリの本当の旅・冒険の始まりの場所として描かれる。
そこには監督の分身と奥さんがいて、ベルリの旅の案内役を担う。

自分の作品が子供に引っかかってほしいと願い、アニメを作る富野監督にとって
このシーンは富野監督が若者であるベルリに道を案内するという点において、
富野監督が若者に未来を託した描写という解釈ができるだろう。
さらにいえば、老夫婦が小田原にいたという点において
富野監督が最後に
自分が帰るべき場所なのは
小田原であるという想いがあったからかもしれない。
もしくは老夫婦(富野夫妻)もベルリと一緒に始まりを迎えようとしているのかもしれない。
あれほど小田原に対して愛憎入り混じって語っていた富野監督が
小田原をベルリの始まりを祝福する場所として描き、
富野監督自身の魂の安らぎの場所、
もしくはこれからの自身の始まりの場所として描いていることに
私は心が震えずにはいられない。
おわりにーTのレコンギスタ
レコンギスタが地球帰還作戦であるなら、
富野監督にとってのレコンギスタは故郷の小田原への帰還だ。
そして最終回で、富野監督は故郷の小田原にレコンギスタした。
つまり「Gレコ」最終話は
「T(富野)のレコンギスタ」である。
「Gレコ」ならぬ「Tレコ」だ。
富野監督の若者へ未来を託したいメッセージとともに、
富野監督自身のさらなる始まりの場所として
一方で自身の故郷として認めても良いというニュアンスを含んで
小田原を描写したことは、一ファンとしてこれ以上に嬉しいことはないシーンだった。
台地に立ったのは、ベルリ・ゼナムであり富野由悠季だったのだ。
富野由悠季監督のこれからの旅に祝福を。
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