- 2015-3-9
- アーティストカレンダー
バンドを続けていくということの覚悟の重さ。そして、生きるということそのものと、音楽の距離の近さ。そういうものを痛感するインタビュー取材だった。
eastern youthは、アルバム『ボトムオブザワールド』を2月にリリースし、3月から全国ツアー「極東最前線 / 巡業2015~ボトムオブザワールド人間達~」をスタートさせる。先日には、23年にわたってメンバーとして活動してきた二宮友和(Ba)がそのツアー最終日、6月6日の札幌公演をもってバンドから脱退することも発表された。
これまでトイズファクトリー、キングレコード、VAPというメジャーレーベルを渡り歩いてきたバンドだが、今作は自主レーベル「裸足の音楽社」からのリリースとなる。DIYの形態となったそのレーベルの運営面を担ってきたのも、また二宮であった。
アルバムは、とても真に迫った作品になっている。新作について、バンドの今後について、吉野 寿(Vo/Gt)に話を聞いた。
取材・文=柴 那典
ーー新しい体制となってから、オリジナルアルバムとしては初めての作品ですね。
吉野:そうですね。裸足の音楽社からのリリースが初ということです。
ーーこの2年半を振り返っていただくと、どういうところからこのアルバムは作り始めたのでしょうか?
前回のアルバムでレコード会社の契約が終了してインディペンデントな形になっているわけです。それで、曲も一杯あるからライヴをいろんな場所でやろうよということでやってきたんですけど、そろそろアルバム作った方がいいんじゃないかということになって、自分らで出してみようとなりまして。
ーーこれまで2年半はライヴを中心に活動をしてきたわけですよね。
職業として音楽をやっている人達にとっては宿命かもしれないですけど、前回のアルバムを作った時に、ある一定のルーティンを感じてしまったんですね。アルバムを作ってライヴをやるという繰り返しの中で、時間が巡ってきたから作品を作るという。それじゃしょうがないと思うようになった。必然性が欲しかったんですね。
ーー『ボトムオブザワールド』というタイトルはどういうところから来ているのでしょうか? 最初の段階からイメージがありました?
いえ、全然ないですね。アルバムが完成して曲をずらっと並べて、さてどういうタイトルにするかと考えた時に、街の底とか世界の底というか、そういうイメージが出てきた。それは単に経済的にという問題ではなくて、要するにみんな地に足を着けて生きているわけですよね。地べたに這いつくばって生きている。そういうところから歌われる歌でありたいということですね。
ーー前のアルバムが『叙景ゼロ番地』でしたし、その前の作品でも街というものがキーワードになっている。その理由は?
誰でも街の中で生きているんですよね。そう感じることが多いんです。別に友達が沢山いるわけじゃないんですけど、ただ自分が生きている場所はやっぱり街の中なんです。街の中で浮いたり沈んだりして生きている。そういうことを常に感じているし、そこから何かを掴み出していきたいということがある。自分の観念の中の世界というよりは、リアルな街の中で直接的にも間接的にもいろんな人と関わって、それが最終的には自分の観念を通って出てくる。そういう感じですね。
ーーアルバムに入っている曲では、“ナニクソ節”は震災直後に発表された曲ですね。
そうです。ソロでやりました。
ーーこれを改めてバンドでやろうというのは?
いい時期かなと思ったんですよね。曲を作っている過程の中で、これをシュッと差し込んだらいいなと思ったんです。そんなに難しい曲でもないんで、アレンジも曲をバラさないでそのままの構成のまま各自楽器のパートのプレイをコミットしていけば形になると思ったんですよね。シンプルにやってうまくハマると思った。
ーーやっぱり発表した時は震災直後ということもあって、リアクション的な意味合いをみんな感じ取っていたと思うんですけども、こうやって形になるとやっぱり吉野さんが歌ってきたことは変わっていないし、あのタイミングでも今でも、変わらない普遍性を持っていると思います。
確かにあれを作ったきっかけというのは震災だったし、居ても立ってもいられずに「負けねーぞ」という気持ちで作ったんです。でも「負けてたまるか」というのはずっと続くんですよね。なにも震災直後だけじゃなくて、自分が生きている限りずっと続くことだから、意味合いが変わらないんじゃないでしょうか。どこかでなにか区切りがつくものじゃないですから。
ーー区切りがつかない。
でも、みんなそうじゃないですか? 生きてればいろんな困難はありますし、それを乗り越えて一段落だなと思っても困難は来ますから。山とか谷とか繰り返してやってきますから、その都度やっぱり負けねーぞと思って乗り越えていくしか無いわけですよね。それが生きていくということだと思いますし、そのつど闘いの場面は訪れるわけですから、そのための歌というのは常に必要になってくるというか。
ーー歌っても歌ってもキリがないというようなことですか。
生身の人間なんで、生きている限りはずっと続くことだと思うんですよね。いいこともあるし悪いこともあるし、それを感じ取っては吐き出す。自分にとって歌うというのはそういうことですね。
ーーご自身の人生を俯瞰で見ているような視点はお持ちですか?
どうなんでしょうね。いっぱいいっぱいですけどね。いつも失敗ばっかりで、ずっこけまくって生きてますけど。なんか諦めているというか、もうここまで来たらなるようになれみたいなヤケクソみたいなところはあるかも知れないですね。
ーーポイント・オブ・ノーリターンみたいなものがあるとしたら、とっくに踏み越えている。
後先考えないでわーっと走ってきて、気がついたらここにいた感じですね。特に学校もちゃんと出てないですし就職もしたこと無いですし、アルバイトとかも長く続いたことも無いですし。本当に子供の頃から同じなんですよ。
ーー“街の底”という曲はアルバムの中で一つの象徴的な曲になっています。「ボトムオブザワールド」というタイトルの通り、底というモチーフが出てきている。これは今のeastern youthの中でどういう象徴になっているんでしょうか。
それは日頃見て生きている世界ですよ。底ですよ、器の底ですよね。地べたで暮らす。それは路上生活という意味ではなくて、安酒場とか安食堂とか、そういう安いところ。清酒1杯190円みたいな感じ。そこでうろうろして浮いたり沈んだりしているような。
ーーそこから始まっていろんな情景を描きつつ、最後に“万雷の拍手”という曲。この曲は曲名とは裏腹に孤独感というか、孤立感みたいなものがある。
そのタイトルに込めたものは、要するに満場の一致ということです。満場一致でみんな「そうだ! そうだ!」と言っているような情景。そういう熱狂の中で個は置き去りにされてしまう。底の方に沈んでいってしまう。あくまで個で生きていこうと思うと、その拍手に背を向けて、はぐれて生きていかなきゃいけないんです。だから、あのアルバムは最後にそうやって去っていく後ろ姿のようなイメージで終わらせたかったですよね。
ーーそこはある種の全体主義に対しての違和感のようなものがある?
要するに、俺はみんなそう思うのが普通だとか、常識だとか、そういうものをことごとく踏み外して生きてきたんです。そういうものに対する猜疑心みたいなものが非常に強いですね。だから、常に自分の個というものに帰りたいんです。人に決められたくないし、人が決めたことなんてロクなもんじゃないから。人に決められてたまるかよって生きてきたんで、そこに帰ってくるというか。
ーー“万雷の拍手”と“直に掴み取れ”は、同じようなことを、違う曲調と違う角度で描いているように思います。
そうですね。
ーー“直に掴み取れ”の方は不思議な高揚感がある。
一人一人は個ですけれど、個が集まって街になるし、個が集まった時の力というのはあると思うんですよね。でも、団結も、あくまで個というものを確立するため、個というものを守るためのエネルギーであるべきだと俺は思っているわけですよ。あくまでも集まっているのは個だから。みんなバラバラのほうを向いている奴らが自分の意志でコミットしていく。巻き込まれていくのとは違うわけです。そういうニュアンスです。
ーーこの曲はいろんな人が歌っていますけれど、声をかけた人たちも、そういう感覚を共有していた?
友達のミュージシャンに参加してもらって、あとは自分らの物販のスタッフとかPAの女性とかにやってもらいました。ミュージシャンたちは基本個で生きていますから、そういう人生を送っていると思うし、僕らの仲間はそういうことは説明しなくても根本的にわかっている人たちばっかりなので。男の声ばかりで統制されたコーラスというよりは、いろんな声が混ざっているようにしたかったんですよね。本当は子供がいたほうが良かったんだけど、子供は学校に行っている時間だったりするので。