〜ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの」
ダナ・ボイド 著 / 野中モモ 訳
著者はマイクロソフト・リサーチ・シニア研究員であり、ニューヨーク大学で教鞭を執るダナ・ボイド氏。アメリカにおける若者とインターネット研究の第一人者として知られています。
本書は、2005年〜2012年の間に13歳から19歳までのティーンの実情を調査してまとめたもの。邦訳版は2014年10月に刊行されました。
著者も語っているようにソーシャルメディアは「移り変わる風景」であり、時代とともに新しいアプリやサービスが台頭してきます。アメリカのティーンが好むSNSサービスもMyspace(マイスペース)や、Twitter(ツイッター)からFacebook(フェイスブック)へ、さらにInstagram(インスタグラム)やTumblr(タンブラー)、Snapchat(スナップチャット)へと次々に様変わりしています。日本でいえば、mixi(ミクシィ)やLINE(ライン)も含まれます。
こうした変動の一方で、その根底にあるティーンの意識というのは、実は大きく変わっていないのではないかと著者は見ています。
フットボールの試合やショッピングモールに出かけることなしに、ティーンが仲間と集える場所がSNSです。そこはネットワーク化された「パブリック」な場所で、多くの若者たちはそこに存在しないことは「自分がコミュニティの中で存在しないこと」を意味すると考えています。
たとえば大人ならば、職場のつながり、学生時代のつながり、地域のつながり、趣味のつながりといったように、複数のコミュニティに属しています。そのため、各コミュニティが集うSNSがあったとしても、それを使う意識や頻度などには個人差、温度差があるでしょう。
ところが学校生活が日常のほぼすべてを占めるティーンとっては、学校と同じコミュニティが形成されたSNSは、もっと重要な意味を持ってきます。
新しいアプリやサービスの登場によってネットワークの風景は変化するものの、いつも時代もティーンが求めているのは「自分たちの場所を見つけること」。それは、SNSが登場する以前と大きく変わらないのかもしれません。
テクノロジーが関与しているため、ネット上のパブリックには物理的な公共空間とは異なる性質があります。
特に顕著なのが、次の4つです。
・持続性〜オンライン上の表現とコンテンツの永続性
・可視性〜証人となり得るオーディエンスがいる可能性
・拡散性〜コンテンツが容易に共有されること
・検索可能性〜コンテンツを見つけ得る能力
いまの時代は、ネットをフルに活用して“情報を知りたがる人びと”がいます。データベースをあたることで、誰かによる誰かについての無数のメッセージを掘り出すことが可能です。これらのメッセージは公にアクセス可能なものであっても、書かれた当初、検索エンジンを介して再浮上する可能性を考えて投稿されたものとは限りません。
検索エンジンなどのツールは文脈についての手がかりを排除するように設計されていますので、誰かが検索で見つけたものが、元々の文脈からかけ離れて受け取られる可能性も高くなっています。
ティーンは、生まれた時からインターネット環境が当たり前にあった世代。しかし、SNSをたやすく使っているからといって、彼らがテクノロジーに関して深く理解しているとは言い切れません。
たとえばウィキペディアでレポートを書いてはいけないと学校から厳しく教えられていても、グーグル検索で上位に上がってきたサイトに書かれていることは鵜呑みにしてしまう、といったようなことが起こります。グーグルが検索エンジンであると同時に、広告業務を担う企業であること、アルゴリズムが検索結果を生み出していることを理解していないわけです。
Facebookを使いこなしているようでも、実はプライバシー設定を理解していないこともあります。これらを社会学者のエスター・ハーギッタイ氏は「デジタルナイーブ(世間知らず)」と表現しているそうです。
長年に渡ってティーンから話を聞き、観測を続けてきた著者は、アメリカが抱えている社会的不平等が、近年ますます目立つようになってきたと示唆しています。ほとんどすべてのティーンがテクノロジーに触れていますが、その程度は個人によって大きく異なります。親からテクノロジーについて学ぶティーンもいれば、親にネット検索の方法を教えるティーンもいます。
最も多いケースは、自分が発信した言葉や情報に対して、オーディエンスが誰かを想定しきれていないこと。日本でも度々、若者がツイートした発言やネットに上げた写真などが社会問題になったりしますが、その原因は倫理観やプライバシーなど諸問題が関係しているのはもちろんのこと、ネットが世界に開かれた存在であることを正確に理解していないことにもあります。
そのほか本書では、ソーシャルメディアにおけるティーンのいじめや中毒性、日常を見せることによる“セレブ化”にも触れています。
また著者は、人が仲間のために情報を編集するソーシャルメディアが流行するいまの時代においては、「自分が何を知っているか」を形づくるのは、「自分が誰を知っているか」に大きく左右されるとも述べています。
アメリカにおける、この10年ほどのソーシャルメディアの変動とティーンの意識が学べる一冊です。
(編集部 Y.C)