Web Original
野球コラム
グローバルリーグから帰国して会見する東京ドラゴンズ・森徹監督。プロ野球から縁遠くなった選手とアマチュアから成るチームは、過酷な状況をくぐり抜け、今こそ顧みられるべき成績を残したのだった。
photograph by NIKKAN SPORTS
詳説日本野球研究

野球選手の頭に機関銃???
“グローバルリーグ”仰天顛末記。

小関順二 = 文

text by Junji Koseki

photograph by NIKKAN SPORTS

日本プロ野球OBクラブ理事長・森徹が亡くなったのは昨年初春のこと。
彼の悲願のひとつが、今から46年前に潰えた世界規模の野球リーグ、
「グローバルリーグ」の復権であった。

前回コラムでお伝えした記事の最後のシーン、
「リーグからの送金が途絶え、ホテルに軟禁される日本人選手たち」
の続きを、後編ではお伝えしたいと思います。

 グローバルリーグ以前の海外遠征は、球団創設間もない巨人によって行なわれている。1935(昭和10)年2月14日に日本を出発、マイナーリーグ相手とはいえ128日間で109試合を戦い75勝33敗1分け、翌36年の第二次遠征は89日間で76試合を戦い、やはり42勝33敗1分けという好成績を残している。

 6年後に日系人の収容所が開設されるような逆風の中でも巨人は米国で人気があった。草創期の日米交流に尽力した功績が認められ'68年に野球殿堂入りした鈴木惣太郎は「日米親善野球戦」という文章の中で、「私共のチームはほんとうにアメリカ人に好かれました。彼等に私共日本人の持つ美しい性格の多少でも、認めてもらう事が出来たとすれば、倶楽部創立の目的の一つである日米親善に資する所が少なくないと信じます」と、この第一次アメリカ遠征を回想している。

リーグの初戦には2万5000人の観客が押し寄せた!

 '69(昭和44)年のアメリカ、ベネズエラを舞台にしたリーグ戦に、東京ドラゴンズの一員として参加した福井勉は「巨人の第二次アメリカ遠征以来、33年ぶりに行なわれた単独チームによる海外遠征だと思うんですよ」と言う。グローバルリーグとプロ野球はまったく繋がりがないが、東京ドラゴンズに在籍した25人中17人が日本の球団に所属していたことを考えれば、私もプロ野球史上3例目の海外遠征と位置づけてもいいと思う。そして巨人同様、東京ドラゴンズは海外で人気があった。

 '69年4月24日、ベネズエラのカラカス球場で行なわれたグローバルリーグの開幕ゲーム、ベネズエラ・オイラーズ対東京ドラゴンズ戦には、最大収容人数2万8000人の球場に2万5000人の野球ファンが押し寄せた。第2戦も同程度の大観衆がつめかけ、第3戦はテレビ中継もされた。しかし、観客の入りがよかったのはベネズエラ対日本戦だけで、アメリカやプエルトリコの球場では閑古鳥が鳴いていた。野球人気の高い極東で興行を打って活路を開く、という発想がこのあたりから生まれてくる。

【次ページ】 東京ドラゴンズのチームカラーは「ケンカ野球」!?

このエントリーをはてなブックマークに追加
  • deliciousに追加
プロ野球 トップへ NumberWebホームへ

詳説日本野球研究 バックナンバー

8万部突破! 『通訳日記 ザックジャパン1397日の記録』 大好評発売中。 見つけよう私の健康ノウハウ「カラダStylen for MEN」
言わせろ!ナンバー最新の投稿
次期サッカー日本代表監督、あなたは日本人派or外国人派?
外国人

こたえは単純である。 日本人監督がJリーグでの実績しかない人が多いからである。 欧州や南米のトップリーグで指揮を執る指  …すべて読む

tama001さん
2015/02/26 15:33
に投稿
次期サッカー日本代表監督、あなたは日本人派or外国人派?
日本人

サッカー界もオールジャパンになるべきと思う。すべて読む

呼子の貴公子さん
2015/02/26 15:15
に投稿
言わせろ!ナンバーについてお題をもっと見る
  • 文藝春秋ではWEBデザイナーを募集しています。
最新号表紙
872
2月19日発売
ヒロインを探せ!
~2015►2020~