本はたくさん読めばいいというわけではない。
年間100冊本を読んだからといって、結果として頭に入っていなかったら、それは不毛な読書だ。
では、実りある読書とは何だろうか。それは読んだ人の精神に思考に行動に変化を与えることだと僕は思います。
実りある読書と不毛な読書をする人には、どんな違いがあるのでしょうか、今回はそうした読書の違いを話そうと思います。
本は「考える」ために読む
まず読書に対しての認識から話しますが、不毛な読書をする人の認識は、本がメインでそれを読む自分がいる、みたいな感覚で本を読んでいます。言うならば本が「主」で自分が「従」みたいな感じです。
けれど、実りある読書をする人は逆です。
自分が「主」で、本が「従」。
もっと言うなら自分の思索が「主」で、本の中身が「従」。
もう少し細かく説明します。
実りある読書をする人は、読書に対して「読む」ことでなく、「考える」ことに重きを置いております。
つまり、思索をするために本を読むと考え、その思索に必要な材料を補う行為だと読書を捉えています。
闇雲に本に手を出すのではなく、自分の思索精神の湧出がとだえた時に本に手を伸ばすのです。
実りある読書と不毛な読書をする人の違い
不毛な読書をする人の典型的な例は、本はたくさん読めばいいと思い、多読に励み、自分の頭一杯に知識を入れ込み、結果として、身動きが取れず、次々に消化不良をおこし、忘却していく人です。
それに対して、実りある読書をする人は、主体的に本を読み、知識を得て、それらを自分の思想体系ともいうべきものに併合させていきます。そうやって知識や情報を消化・同化させていき、自分の思想体系を有機的に拡げていくのです。
いかがでしたか、どうせ本を読むのなら、実りある読書をしたいですね。
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