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印南敦史印南敦史  - ,,,,  07:30 AM

現代のビジネスに役立てられる、吉田松陰と松下村塾の思想

現代のビジネスに役立てられる、吉田松陰と松下村塾の思想

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吉田松陰の松下村塾は、初代内閣総理大臣の伊藤博文を筆頭に、山県有朋(第三・九代内閣総理大臣)、山田顕義(日本大学、國學院大学創設者)、高杉晋作(奇兵隊創設者)、桂小五郎(維新の三傑)など多くの逸材を送り出してきたことで有名。ところが意外にも、松陰による教育が行われたのはわずか2年4カ月だったといいます。

だとすれば、短期間にどのような教育が行われていたのかが気になるところですが、そこで目を通してみたいのが『吉田松陰 松下村塾 人の育て方』(桐村晋次著、あさ出版)。

40年にわたって松下村塾の人材育成についての研究を続けてきた著者が、独自の視点で松下村塾の教育について論じた書籍です。


高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文などの具体的なケースをたどりつつ、松下村塾の教育を現代に応用するとどういうことが実現できるだろうか、という視点でいくつかの提言をしている。(「はじめに」より)


つまりは松陰についての知識が得られるだけでなく、ビジネスパーソンにとっての教科書的な機能も備わっているわけです。第三章「松下村塾の教育 現代への応用」中の「松陰は何を教えてくれているのか?」から、「松下村塾の七つの特徴」を引き出してみます。


1.生涯を通じて学習を続けた


学制がしかれて全国の町村に小学校が設置され、身分や職業の区別なく、すべての子どもに義務教育を受けさせることになったのは明治5年(1872年)のこと。そして終戦後の六・三制導入により、義務教育年限は9年になり、全国の教育の充実と均一化が図られたわけです。学校制度が整って、教材、教授方法の画一化が進むと「教えられて学ぶ」という意識が強くなり、学校卒業によって勉強も終わり、という傾向が出てきたのだとか。

一方、師の没後も集まって学習会を持続させていたのが松下村塾。情報交流会や読書会、市町村や公民館の講演会、通信教育、放送大学、地域の公開講座や社会人向けカリキュラムの整備など、「学習インフラ」が充実している現代においても、これを実践することは可能だと著者は主張しています。(186ページより)


2.基本姿勢は、指定がともに学び合う「指定同行」


人は誰でもすぐれた面があり、他の人に教えるものを持っています。ただし、どんなにすぐれた人でも、すべての面で秀でているわけではなく、他の人に学ぶべきことは少なくありません。つまり、お互いに師となり、弟子となって学び合うことが大切。

この点も、松陰はきちんと理解していたといいます。リーダーたる者には「ノブレス・オブリージュ(高い身分の保持に伴う義務)」を求め、自らを厳しく律したということ。そして、これらの考え方も、現代において非常に大切なものだと著者はいいます。(187ページより)


3.グループでやり遂げられることを体得させた


村塾では少人数のグループでの議論を通じて情報や知恵を集積し、ひとりではできなかったとしても、グループでやり遂げられることを体得させたそうです。たとえば、答えの見つかりにくい課題を数人で討議させたり、難しい問題への対応を、数人の弟子を指名して一緒に取り組ませたりしたわけです。(188ページより)


4.庶民の力を評価する「草葬堀起」の思想を根づかせた


草葬堀起(そうもうくっき)とは、封建時代の身分制度を否定し、庶民の力を高く評価する思想。これを根づかせたことに、大きな意義があるのだそう。

いっぽう、今日の社会における身分格差は、学歴や学校による評価、正規と非正規の雇用形態、男性と女性、大企業と下請け・協力会社など。つまり関係者全員の力を合わせにくい状況が残されています。だからこそ、「世の中がそうだから」ではなく、力がある者には仕事、ポスト、報酬をきちんと出せる仕組みをつくることが、閉塞感を打開するために必要だと著者は説いています。(188ページより)


5.若者を育てるという基本方針を持っていた


社会の発展のために、若者に期待して、彼らを育てるという基本的な方針があったのが村塾。だからこそ、若者の自立を辛抱強く待つ、答えのない問題を仲間と議論して自分の頭で考える習慣を持たせる、教え急がない、自分自身についての理解を深めさせる、弟子のレベルに応じて個別教育をする、先輩が後輩をマンツーマンで育てるなど、さまざまな工夫が施されていたそうです。(189ページより)


6.専門性の基礎となる「教養」を積むことを重視していた


専門性を高めるためには、その基礎を形成する「教養」を積むことが大切。村塾では、そのことが認識されていたのだとか。事実、専門分野の儒学と兵学だけではなく、文学、洋学、国際関係など、多様な知識の習得に努めており、塾生も師にならって、視野を広げることの大切さを理解したといいます。そして、そのために多方面のネッワークもつくっているとか。

これは今日においてもつくることが可能だと著者。たとえば、政治・経済などの教養を積むために「ニュース・報道部」をつくって有名な政治評論家を招いたり、必要な法律などを学ぶ「生活能力開発部」をつくり、そこに弁護士を入れたりすることなどが可能だというわけです。(189ページより)


7.現場現実にふれ、情報と実践を重視していた


松陰は、旅の行く先々で目をこらして各地の人や町を視察し、ものの値段まで書きとめていたのだそうです。「飛耳長目」(昔のことや遠くのことを見聞すること)に見られるように、刻々と変化する世のなかについて知ることの必要性を認識していたということ。

企業においても、研究者が研究を重ねて自信を持ってつくった商品が売れず、現場の営業マンの感性の方が消費者に受け入れられることは珍しくありません。これも、働くうえでは重要な視点。(190ページより)

松下村塾の印象的な特徴は、「討議のなかで、集団教育の場を通じて弟子たち自身に『自分とはなにか』について考えさせ、自分の個性を発見させ、主体的に自己形成させていることにある」と著者は分析しています。教えられるのではなく、弟子たち自身が村塾という「集団啓発の場」を活用して自力で育っていったということです。

なお、この「集団啓発の場」を現代に活用するためには、以下の3点が大切だと著者はまとめています。


1.集団討議のなかで問題意識を共有し、問題解決に向けて知恵を高めていくコミュニケーション能力
2.有用な人的ネットワークの構築
3.少数団活動における集団啓発と自己開発


第一章、第二章で松下村塾や吉田松陰についての考え方を学び、第三章でそれらを現代のビジネスに応用する術を提案するという構成。だからこそ、多角的に知識や価値観を吸収することができるはずです。

(印南敦史)

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