(前回から読む)
日本社会において血縁共同体の代わりを担った「サラリーマン共同体」。だがそれには、「死」に対しては無責任であるという欠点があった。「定年=死」という生き方を回避するための秘訣は「仕事に本気にならないこと」と養老先生は説く。「日本人はどう死ぬべきか?」最終回です!
今回の対談は、私たちにとって切実な未来である「死ぬこと」について語っていただいています。養老先生、隈さんの共通したご意見は「死ぬことを考えるのは無駄」ということでした。
そこまで達観できればいいのですが、「日経ビジネス オンライン」の読者の方々には、40代から60代男性の自殺率の増加などは、身につまされることも多いのではないかと思います。
養老:自殺は、それぞれの国によって特徴があるんですよ。
隈:そうなんですか。
養老:自殺の原因には世界的、人類的な傾向というものがあるんです。だいたい、一人当たりGDP(国内総生産)の増加と比例して自殺が増える。日本では働き盛りの中年男性の自殺が多いけれども、中国では若い女性の既婚者の自殺が多いんです。
隈:死を選ぶ理由は何なんですか。
養老:抗議の自殺ですね。嫁さんがだんなの家族に抗議して死ぬんだ。
儒教的な考え方の中で、嫁が人間扱いされないということでしょうか。
養老:詳しいことは分からないんだけど、中国では、男の子を大事にするけど、女の子は相当下に見られているでしょう。
死の恐怖から救ってくれない「サラリーマン共同体」
日本の働き盛りの男性の自殺は、1999年から一気に増加しました。養老先生はどう見ていますか。
養老:日本の世間って結構うっとうしくて、そこに丸々付き合ったらたまったものじゃないよね。でも、丸々付き合ってしまって、にっちもさっちもいかなくなるんでしょう。そういう背景があると思いますよ。
不況をバックに、中小企業経営者の自殺が増えましたが、同時に定年前後の会社員も多いと言われています。
隈:サラリーマン人生って、勝ち残りの競争の中で、すごくクリティカルな、重大な分岐点がいくつもあるじゃないですか。判断ひとつで後戻りもできないし、先にも行けないというような。あれ、みんな、よく平気だなと思いますよ。
確かに。エリートになればなるほど、過酷をきわめる。
隈:それで定年間際には、そのストレスと、自分の体力的な転換点が重なるわけだから、おかしくなってしまうのは、よく分かるな。
戦後の日本では、かつての血縁共同体がサラリーマン社会に置き換えられたわけじゃないですか。前世紀のサラリーマン社会も、ここにきて変貌が激しいし、それとどう付き合うかなんて、人類として未体験ゾーンですよね。
第4回の、隈さんのお父さまのお話とつながりますね(前回参照)。隈さんは、本能的にその事態を避けた。
隈:そうですね。うちのおやじから教訓を得て、サラリーマン人生を回避した。
でも、お父さまは定年を超えて、長生きされたわけですよね。
隈:85歳まで生きました。息子である僕や、家族にいろいろ八つ当たりしたから、長生きしたと思うんですよね。毒を周りに吐き散らかしながら(笑)。