閲覧数 84546
Jan 7, 2015
|
カテゴリ:カテゴリ未分類
フランスで発生した風刺マンガに対する抗議のテロ、新聞など報道機関は「表現の自由に対する冒涜だ」と世界中で非難を上げました。
で、考えるのですけど、「他人に対する風刺という形であればメディアという名目が立てばひどいことを書いても許される」という思い込みを一方的に持っているんじゃないかと。わかりやすい例だと週刊誌の見出し。芸能人の悪口、誹り、誹謗中傷としか思えない言葉が多々並んでいて、それは「自分たちは攻撃されない」と思っている場所から石を投げつけている行為と何も変わらず。 そして、メディアの側は忘れているかもしれないけど、相手側の攻撃が自分たちの土俵で行われる、なんて約束はどこにもない。今回のテロやネットを使ったサイバー攻撃、場合によっては名誉棄損の裁判といった行動に出られる。「言論に対する抗議は言論で行うのが常識」というその常識は勝手に自分たちが作った幻想で恐ろしく脆く、根拠のないものであり。 相手が必ず自分の得意な土俵で戦ってくれるとは限らない。最初のテロもイスラム教を風刺するマンガというものにはそれだけの行動を起こす土壌や歴史、宗教観があって。書いた側はそこまでの覚悟をもって表現したか、あるいは話題優先で軽い気持ちで書いたかは疑問です。 テロには私も反対します。と、同時に同じぐらい、この手の事件の後に必ず書かれる新聞の社説に奇妙なモヤモヤを感じたり。 総合記事ランキング
|