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年が明けてから、ベイマックスを見た次の日(1日で2本ハシゴするのはちょっと体力的に不安があったんです……)に楽園追放も見ました。
事前に仕入れていた情報では、フル3DCGの映画(いわゆる3D映画ではなく、人が人物を手描きしないトゥーンレンダリングのアニメという意味の)で、SFで、主人公のアンジェラの声が釘宮理恵で、3DCGによる生尻描写に妙に力が入っていて素晴らしいらしい、と。なんやそれ。
ほんで感想なんですけど、そこそこ面白かったです。でも突き抜けた感じの印象はなかった。「まあまあ、かな?」ほんとこれ。
いや、決して悪い出来ではないと思うんですよ。でも、期待していたほどの「今まで見た事の無かったすんげえ物を見ちまった」感が無かったっていうか。想定の範囲内に収まってしまったなあ感というか。「そうそう、俺が見たかったのはこれだったんだよ!」を外していたというか。
これは多分、見たタイミングも悪かった。手放しに大絶賛できたベイマックスの直後だったので、どうしても比べてしまって……前評判が非常に良かったので期待しすぎたってのもありそう。まあなんだかんだ言いつつ、限定版のブルーレイは注文したんですけど。
名前を挙げたのはあくまで僕が知ってた&分かった物だけで、多分それらにも元ネタは多数あるんだろう。孫引きが当たり前なくらいの、今ではむしろ陳腐化してしまったと言えるような諸要素。
でも、「ありがちネタ」ばっかりの作品でも、思わず大絶賛したくなったような物はたくさんある。なのに、僕にとっての「楽園追放」は、なぜそうではなかったのか。
多分、個々のガジェットや設定が「どっかで見たなあ」だったから、じゃあなくて、全体的に「どっかで見たなあ」ばかりに感じられてしまって、「楽園追放」で初めて見たと思えるものを見いだせなかったから、なんじゃないかと思う。「そうそう、俺が見たかったのはこれだったんだよ!」っていうのは、もっと詳しく言うと、「そうそう、俺はこれが見たかったんだけど誰も今までやってくれなかったんだよ! それをやってくれてありがとう! やっとこれで、今まで見たくても見れなかった物を見れたよ!」っていうことなんですよね。
作品全体を繋ぎ止める一本通った筋というか、本質的なその作品のオリジナリティという物があって、それを補強する材料として各種のガジェットや設定がある、という見方をした時に、補強材がどっかで見たようなものの寄せ集めでもそれは全然構わないと思うんですよ。その作品ならではのオリジナリティという芯材があれば、「どっかで見たような要素」であっても「おおお、こういう見方ができるのか!」という新しい感動を生み出すから。でもそういう芯材が無い限り、「どっかで見たような要素」は「どっかで見たような要素」の域を出ない。
今まで、僕自身が好きだった作品に対して、他の人が「中身が無い」「空っぽだ」と評しているという場面が何度かあって、不思議に思ってたんですよね。「中身が無いだって? こんなに詰まってるじゃないか!」って。でも、今なら分かる。それはその作品を見る人の持つバックグラウンドによって生じる見え方の違いなんだ、と。古典や名作をたくさん見てきた人達が見た時に「この要素はアレと同じ、こっちの要素はアレと同じ。で、この作品ならではの物はどこにあるの?」と感じてしまう、というのを端的に言い表したものが、「中身が無い」という評価だったんだなあ、と。
僕自身そんなに熱心にたくさんSFを読んだり見たりしてる方ではないと思ってるし、映画だってそうしょっちゅう見てるわけでもない、漫画だって読んでる方ではあると思うけどその範囲はごく狭い、そんな視野の狭い僕ですら「あ、これはアレで見たやつだ」「これもアレで見たやつだ」と感じてしまった。それが、僕が本作を心の底から「面白かった!」と思うことができない理由なんじゃないかと思う。
設定だけじゃなく制作面でも、「ハイクオリティなトゥーンレンダリングで美少女キャラが電脳&物理バトル」というのは前年に蒼き鋼のアルペジオで散々見てしまったんですよね。あっちには生尻は出てこなかったけど。
もちろん、楽園追放の映像が僕の見たことのある既存のSFアニメに比べて高品質なのは間違いないです。お金も手間もかかってると思う。順当に進歩してる事を感じられる。でも残念ながら、僕が見たかったのは「前の作品に比べて良くなってるね。じゃあ前の作品に代わって暫定一位だね。本棚の一番いいところに置いておこう。次にもっと良くできた物が来たら、その位置は明け渡してもらうけどね。」っていう温度の物じゃなくて、「なんだこれ!! 前の作品とか他の作品とかどうでもええわ!! ようわからんけどこの作品単体が大好きになってもうたわ!! お気に入り作品の棚に突っ込んどくわ!!」っていう温度の物だったんですね。
見ていて人物達の個性が掴めないなあと感じてしまう箇所があったのも、僕の中で本作の評価がいまいち高まらない理由の1つな気がします。特にディンゴ。
シナリオの都合がいいように、その場その場で言う事考える事がコロコロ変わってるというか、作者の操り人形にされてるというか、そんな感じが否めなかった。いや、本当に思ってる・考えてる事と行動が一致していない、嘘をついている、敢えてそういう人物像を演じているだけで実はそういう人物ではない、っていう演出なのかもしれないんだけど。そしてそういう演出であるという事を僕が読み取れてないだけなのかもしれないんだけど。
この感覚に近い物を最近味わったなあと思ったら、あれですよ、アナと雪の女王のハンス王子。あの唐突感。それまで誠実な王子様だったのに、シナリオの都合上悪役が必要になった途端に、豹変して悪人になるっていう。元々のシナリオではエルサが悪の魔女の役回りだったのが、「Let It Go」の歌があまりに良かったからってんでシナリオを変更して姉妹の愛の物語にすることになって(←ここまでの経緯は制作者のインタビューで公式に語られてたので事実なんだろう)、それで悪役不在になっちゃったから適当な人物を代わりに悪役にしちゃいました、みたいな感じ。
「何かを演じている人」を描写するのって基本的に、鬼門っていうか難題っていうか、チャレンジングな事だと思うんですよね。「あ、この人はほんとはこうは思ってないんだな」とか「あ、この人はこう思ってるんだな」みたいなのが視聴者に伝わってないと、シナリオライター的には仮面を外して正体を現しただけのつもりが、正体も仮面も何もないただの操り人形だという風に見えてしまう。「実は、何々でした」っていうのは、丁寧な伏線無しに安直に使うと痛い目を見る。
同じ虚淵脚本のまどマギでキュゥべえがそういう豹変を見せてたけど、あっちがそう不自然に感じられなかったのは、キュウべえが一見すると可愛らしいマスコットキャラ風でありながら、アニメーションの中では妙に無表情で不気味な存在として描かれていたから、豹変した時にも「やっぱりね」と自然に受け入れられたんじゃないかと思う。
……こうも立て続けにこんな感想を抱いてしまうと、逆にやっぱり僕の方が話や空気を読めてなさ過ぎるんじゃないか?って不安になってくる。こんなに金と手間がかかった作品で、僕ごときがこんな風に思ってしまうような程の大穴が、残ったままでリリースされるわけ無いんじゃないのか。実はハンスもディンゴもちゃんと「嘘をついてる」ことを臭わせる伏線が張られていて、僕がそれを見落としていただけなんじゃないか。誰にでも分かる明々白々な伏線を、僕が読み取れていなかっただけなんじゃないか。僕は自分で思っている以上に、読解力も注意力も無い人間なんじゃないのか。どうなんでしょうか、実際の所は。
人によっては「紛い物じゃないホンモノの板野サーカスや!」みたいなのもあるのかもしれないんだけど、正直、僕はこの種の映像表現については「他の人がやってるのでも十分格好良く見えるんだけどなあ」って思ってるので、あんまりそこは有り難がれなかった。行きすぎると、過去を美化しすぎて新しい物を認められない老人って事になっちゃうし。いや、本作のバトルが格好良かったし見応えあったのは間違いないんですけどね。
クライマックスで出てくる新型メカ、よく見るとディティールが違うのは分かるんだけど、基本的にずっと激しく動いてるからというのもあって、これもあんまり違いがよくわからなかった。話の内容(設定)的に、新型と旧型をビジュアルや性能ではっきり分けると変だよねってのはあるし、現実的で妥当なラインだとは思うんだけども。
あ、でも新型で降下中のバトルでの、コクピットが無人なのにペダルとかだけ動いてるっていう描写、あれは好き。ゼーガペインで「実際はこうなんだよな」って思ってたのが、いい感じに映像化されてたと思った。コクピット内に仮想アンジェラを投影するという表現の仕方もあるだろうっていうか一昔前ならそう描写されてたかもなって思うんだけど、ここは敢えての無人描写で正解でしょう。肉体をただのアバターの一形態としか思ってないっていう、データ人類らしさがよく現れてると思った。
これも誰かが言ってたと思うけど、「目新しい物は無いけど、無難によくできてて、そこそこ面白い。今の日本のアニメの技術力を表したマイルストーンとして、価値がある。」っていうのが、僕の中でもしっくりくる落とし所ですね。
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