娼婦の無許可撮影をするゲス写真家は今に始まったことではない-『危険な毒花』と『月蝕』- (松沢呉一) -5,952文字-
2014年12月28日18時56分 カテゴリ:セックスワークを考える
訴えられなければカメラマンは娼婦を無許可で撮影していいのか
数日前に、Facebookで、知人の投稿を見て、タイの娼婦を無許可で撮った大橋仁という写真家について初めて知りました。その段階では内容をよくわかっていなかったのですが、こういう話のようです。
タイの娼婦写真展「許可得ず撮影」が物議 東京都写真美術館「批判は真摯に受け止める」
2014/12/26 19:38タイの娼婦たちを撮った写真展について、許可を得ずにゲリラ的に撮影したと写真家がインタビューで告白し、物議を醸している。写真を展示した東京都写真美術館では、そうした撮影手法は知らなかったとしたうえで、「ご批判は、真摯に受け止めたい」と言っている。
(略)
これらの写真は、男性写真家(42)が撮ったもので、2007年12月22日から08年2月20日にかけて、「日本の新進作家」展の中で展示された。
写真家は、ニュースサイト「タブロイド」の14年12月20日付インタビュー記事で、当時のことについて告白している。
記事によると、05年ごろからタイの買春宿に通い、撮影を始めた。写真家は、撮影禁止とあちこちに表示された部屋にコンパクトカメラを持ち込 み、フラッシュをたいて何枚も娼婦たちの写真を撮った。娼婦たちはパニック状態になり、逃げ出すなどすると、用心棒のような男性たちが走って来て「何やっ てんだお前?」と怒鳴った。しかし、写真家は、取り押さえられても、「バカな観光客のフリ」をし、とぼけていたという。タイのコーディネーターに最初は協 力してもらったが、「こんなこと繰り返してると、ほんと殺される」と忠告された。
投稿をしていた知人は写真家で、この大橋仁という写真家を擁護。同業者を自然と擁護したくなったのかもしれないですが、おそらく彼は、モラルに反する内容を表現することと、その手法や手続きがモラルに反することの区別ができていなかったのだと思います。
SMプレイで体切り刻むようなプレイの写真がモラルに反するという人たちはいるでしょう。しかし、許諾を撮っていれば手続きには瑕疵がない。対して、美しい花の写真でも、万引きしてきたものであれば手法に瑕疵がある。まして、それが人であったらどうなのかって話。人の家の敷地に忍び込んで、窓から家の中の生活風景を無断で写していいのかどうか。あるいはどれほど素晴らしい写真でも、パクリだった場合に美術館に展示され、礼賛される資格があるかのかどうか。
この段階では事情は詳しくわかっていなかったのですが、その投稿の範囲で「それはおかしいだろ」と私は指摘。彼は納得していたのですけど、同業者だからって決して擁護してはいけないものがあります。
肖像権についてはアバウトでもいい状況はたしかにあると思います。たとえば路上で喧嘩している人たちがいたら、私も写真を撮るかもしれない。路上でパンツ丸出しで寝ている人がいたら、それも撮るかもしれない。誰が見ているかもわからない公道でそんなことをしている方が悪いとも言えますし、許諾をもらえる状態でもない。だからといってどこの誰かわかるようには公開しないと思いますけど。
隠し撮りが許されるケースもあるでしょう。議員秘書が受け取ってはいけない金を受け取るところを撮れるんだったら、証拠として隠し撮りしますよ。この場合は公益性が優先します。「テレビ局が無断で他者の著作物を利用する方法」に書いた「著作権法よりも公益性が優先するケース」に近いかも。
しかし、今回の問題は、肖像権を持ち出す以前のモラルの問題としてアウトでしょ。嫌がっていることがはっきりしている相手にカメラを向け、訴えられる可能性がないことを前提に公表する行為は、ホームレスにカメラを向けて嫌がる様子を作品とする行為に等しい。「これが人間の本質を撮った作品でござい」という主張が果たして成立しますかね。訴えられなければいいってもんではない。
いつの時代にもいる「娼婦は無許可でいい」と思う写真家たち
これを批判する人の中には、慰安婦を持ちだして問題を複雑にしないではいられない人たちがいて、これもまた頭が痛い。問題は至ってシンプル。なお解決されていない慰安婦問題を語らなければこの問題が解決できないはずがなく、被写体の意思や事情を無視していいのかどうかって話。だから、こういうゲスな人間はいつの時代にも出てきます。女にもいます。国内でも起きています。なんでもかんでも知っている言葉を持ち出して焦点をずらし、事を曖昧にするようなことはしない方がいい。。
ここでは資料として、以前書いたものを再録しておきますが、「なんだよ、金を払わなきゃいけないのか」と不満を感じる方もいらっしゃいましょうから、タイトルを先に出しておきます。金を出したくない人は自分で現物を調べるってことで。
一冊目は常磐とよ子著『危険な毒花』(三笠書房・昭和32年)です。横浜の赤線であった真金町で撮影した写真が文章とともに大量に掲載され、顔も出ています。
二冊目は若林のぶゆき写真集『月蝕』(フォトジャパン・1972年)。これも赤線時代の隠し撮り写真をのちにまとめたもの。この段階でも肖像権以前のモラルの問題としておかしいと感じた人がいたらしきことが記述されていますが、本人は鈍感すぎて何を抗議されたのかも理解できず、それによって自分の作品の素晴らしさを確信するマヌケぶり。自己顕示欲の塊のような人物であることがわかります。
「この時代だからしょうがない」では済まされないってことです。具体的に例を出していますが、ちゃんと許可を撮っていた人たちもいるのです。
では、以下再録です。若干手を加えてます。どちらも「松沢式売春史」というメルマガのシリーズで出したものです。これは売買春に関わる資料を取り上げるシリーズで、今まで500回以上やっているのですが、現在は休載中。
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