事務屋稼業

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2014-11-12

[]消費税シフト・リターンズ 消費税シフト・リターンズを含むブックマーク

 法人税減税と消費税増税ってバーターですよね、という話はよく聞かれるところだ。昨日もtwitterでそのような意味合いのつぶやきを見かけたので、ふとぐぐったら、こんな論文が見つかった。著者は関口智氏。

戦後日本の法人税制の分析視角

http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/59618.pdf

「はじめに」から引用する。

 本稿の焦点は,国際比較の視点をふまえつつ,戦後日本の法人企業の特色と法人税制との関係を考察することにある。特に留意するのは,日本の法人企業の国際比較からみた特徴と法人税の関係,所得税減税のメカニズム法人税との関係,一般消費税導入プロセス法人税との関係である。なお,本稿で対象とする期間は,主としてシャウプ勧告に基づく税制改正の行われた1950年以降から1980年代中盤までとすること,対象法人は主として法人税の大半を納付している大企業であることをあらかじめ断わっておきたい。

 ほうほう、という感じで読んでいくと、なかなかどうしておもしろい。しかしなにしろPDFファイルで26頁にもわたる論文であるから、本エントリのマクラで振った話に関連する部分だけご紹介させていただく。

 主税局は,所得税減税の財源としては間接諸税でまかなえればいいが, 1981年度税制改正でほとんど実施しているため,間接税増税以外には法人税増税しか道がなく,法人企業にその余力もあると考えていた。この点に関し,当時主税局長(1982.6〜1985.6)であった梅滓節男は,以下のように回顧している。

経済界の方は猛反発したんですけれども,その反発の理由は,その競争力の話とか,設備投資に影響があるというよりも,……(中略)……一番とりやすい企業課税に最後は尻を持ってくるというのが納得できないという反発とか,将来の増税に対する危機感といいますか,猛烈に反発が強かったですよ。」

 結局,法人税率引き上げは,法人税法の改正という恒久税制ではなく,2年間の臨時特例措置として実施することで決着し,増税なき財政再建路線の中で,所得税減税の財源対策として法人税増税を行った。主税局が最後まで折れなかったからである。この点に関して,同じく梅滓節男は,以下のように回顧している。

「当時の(経済界法人税引き上げに対する:引用者)こうした反発というのは,ある意味では,既存税制の閉塞状態,あるいは矛盾点をついていることは事実です。最後は企業課税に来ると。したがって,われわれとしては,経済界理解を求めつつも,この機会に,経済界も今の税体系じゃどうにもならないということをわかってもらいたいという意味もあって,だから最後までこの財源対策は主税局は下りなかったんです。」

 主税局が法人税増税に対して強硬な態度に出たのは,将来的には一般消費税の導入を行うという意識が根底にあったからである。このようなプロセスを経て,経済界1985年昭和60年)7月の中曽根税制改革において,法人税減税の代替財源として一般消費税を支持するようになっていく。そして, 1988年の12月の消費税法案可決と引き換えに経済界法人税減税を実現してゆくのである。

 どこまでが事実の記述でどこからが著者の見解なのか、一読したかぎりでは判然としないものの、まあ当時の「気分」はだいたいこんなようなものだったのだろう。現在の議論もまたそんな「気分」の延長線上にあるように思う。

 なお、このあたりは黒田総裁の最適課税論に言及した拙エントリとあわせて読むと、いっそう味わい深いのではないかと思われる。

 小生、かのケインズ箴言をデウス・エクス・マキナのように使い回すのはダサいし、ほどほどにすべきだと考える。だがそれでも、こうした歴史の文脈に接すると、やはり以下のような感慨を抱かざるをえない(山形浩生訳より)。

というのも経済政治哲学の分野においては、二十五歳から三十歳を過ぎてから新しい発想に影響される人はあまりいません。ですから公僕や政治家や扇動家ですら、現在のできごとに適用したがる発想というのは、たぶん最新のものではないのです。でも遅かれ早かれ、善悪双方にとって危険なのは、発想なのであり、既存利害ではないのです。

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