朝ドラ『マッサン』がツイッターで話題になっているので、国際結婚について書いてみようと思います。
僕はブラックマンデーのあった年、つまり1987年の夏にワイフと結婚しました。(株式関係者は何事も直ぐマーケットの出来事に絡めて時代背景を理解します。悪いクセです)
もう27年も連れ添っているわけだから、経験者の立場からリアルなアドバイスを授けられそうなものだけど、考えれば考えるほど、自分に国際結婚を語る資格があるのか? という疑問が湧いてきます。
その理由は「たった一回しか、経験していないから」です。
これが株なら、今までに何百回、何千回と売買を繰り返してきたので、投資の世界で言うところの「成功の再現可能性(repeatability of success)」について、ある程度、確信があります。
しかし国際結婚に関する自分の経験は、まだ一回目であり、しかも今は未だBUY & HOLD中なのです!
つまり結果は未だ出ていないということ。
だから「こうやれば、成功します」式のアドバイスなど、出来るわけがありません。
ただここまでの途中経過で、自分がどう感じたか? という個人的な感想を述べることは出来ると思います。
ワイフと知り合ったのは原宿に昔あったお好み焼き屋「10(ten)」です。
当時勤めていた会社の同僚が「大学時代の友人の誕生パーティーをやる」というので、「一緒に来れば」と誘われて「はいはい」と付き合いで出席しました。
そのパーティーには外人が沢山来ていて、将来ワイフになる女性が、たまたま僕のテーブルの向かいに座ったというわけです。
それでちょっと話をしたら(こいつ、結構、アタマ良いな)と思いました。
僕はかねてより母から「バカな頭は母親から子供に遺伝する」という、都市伝説とも医学的事実ともつかない恐ろしい迷信を叩きこまれていて、自分自身が勉強嫌い……というよりそもそも勉強が出来なかったこともあって(嫁さんだけは、自分よりずっと頭の良い女性を貰わなければ……)という強迫観念みたいなものに囚われていたわけです。
まあ、それは事実に他ならないのですが、正直言えばローレン・バコールばりの、性根の曲がっていそうなルックスと、ナイスバディに参った……という事に帰結するような気もします。所詮、男はビジュアルに弱いというわけです。
いずれにせよ、その日は僕の人生の中で最もラッキーな日だったことは間違いありません。
それで単刀直入に電話番号を訊きました。
僕の記憶では、そのパーティー(土曜日でした)の翌日、ソッコーで彼女のところへ電話した……ということになっているんです。
ところがワイフに言わせると「ちがーう。あなたは直ぐには電話して来なかった。あなたが電話してきたのは翌週の水曜日よ」と、きっちり訂正されました。「こういう場合、翌日直ぐ電話してくるのは性急過ぎる。でも一週間以上、時間を空けてもいけない。だから水曜日くらいが一番確率が高いと思って居たの。そしたら、その水曜日に図星で電話してきたので、やっぱり自分の予想した通りだと思ったもん!」と勝ち誇ったような言いぐさです。
向こうも指折り数えて電話を待っていたというから、たぶん彼女の記憶の方が正しいのでしょう。
自分としては「攻めて、攻めて、攻めまくった」という達成感しか無いので、全ての事が、畳みかけるように起こったように記憶されてしまっているのかも知れません。
そんな調子だから、「国際結婚は有利か?」とか「法的にはどうなのよ?」とか「住む国や仕事はどうする?」など、そういう一切の計算、ないし打算は全くアタマに無かったわけです。
大体、アメリカの女性は威張っているし、とりわけテキサスのおんなは、男性陣からチヤホヤされて育っています。クルマから降りるとき、男性がぐるっとクルマの周りを回って、女性側のドアを開けてあげる……みたいな。
だから亭主関白の日本と、甘やかされ切ったテキサスおんなというのは、サイアクの取り合わせなのです。
案の定、そこらへんのコトは付き合いだして直ぐに徹底的に「調教」されました。
結婚式はニューヨークのリバーサイド・チャーチで挙げました。
そして、ブルックリン橋の横にある、てっぺんに黄金の天使を頂いたミュニシパル・ビルディングの中にあるマリッジ・ビューローに婚姻届を出しました。

ここまでは良かったのですが、次に日本に帰って当時住んでいた大森の役場に婚姻届を出しに行ったら、「家長」という欄に、亭主の名前を書き込むようになっている……これを見たワイフは、かんかんに怒ったわけです。
それでも気を取り直して妻の欄に名前を書き込もうとしたら、役場の人に「あ、そこじゃありません。外人の場合は妻の欄ではなく、備考欄に記載してください」と言われてワイフのアタマのあたりから水爆のキノコ雲みたいなのが噴出したのです。ここで危うく結婚が破たんするところでした。
日本人目線から言えば「国際結婚してアメリカ行ったら、あれが不都合、これが不都合……」みたいな、いろいろなライフハック、ノウハウ、打算みたいなものが当然、あると思います。
でも結婚というのは男女お互い様なわけで、ワイフのアメリカ人目線から見れば、自分の立場が「正妻」ではなく「備考欄」にダウングレードされるというのは、どう考えても理不尽です。
つまり僕の言いたいことは、国際結婚というのは、それなりにいろいろ障害がある……しかも外国の制度や習慣だけがそれらの障害を構成しているとは限らず、日本の制度や習慣だって外人から見ればヘンな事は沢山あるということなのです。
そのような不都合を挙げれば、キリがありません。
そういう無数のハードルを乗り越えられるだけの勢いが二人にあるか? それが国際結婚を成就できるかどうかの決め手だと思います。
僕はブラックマンデーのあった年、つまり1987年の夏にワイフと結婚しました。(株式関係者は何事も直ぐマーケットの出来事に絡めて時代背景を理解します。悪いクセです)
もう27年も連れ添っているわけだから、経験者の立場からリアルなアドバイスを授けられそうなものだけど、考えれば考えるほど、自分に国際結婚を語る資格があるのか? という疑問が湧いてきます。
その理由は「たった一回しか、経験していないから」です。
これが株なら、今までに何百回、何千回と売買を繰り返してきたので、投資の世界で言うところの「成功の再現可能性(repeatability of success)」について、ある程度、確信があります。
しかし国際結婚に関する自分の経験は、まだ一回目であり、しかも今は未だBUY & HOLD中なのです!
つまり結果は未だ出ていないということ。
だから「こうやれば、成功します」式のアドバイスなど、出来るわけがありません。
ただここまでの途中経過で、自分がどう感じたか? という個人的な感想を述べることは出来ると思います。
ワイフと知り合ったのは原宿に昔あったお好み焼き屋「10(ten)」です。
当時勤めていた会社の同僚が「大学時代の友人の誕生パーティーをやる」というので、「一緒に来れば」と誘われて「はいはい」と付き合いで出席しました。
そのパーティーには外人が沢山来ていて、将来ワイフになる女性が、たまたま僕のテーブルの向かいに座ったというわけです。
それでちょっと話をしたら(こいつ、結構、アタマ良いな)と思いました。
僕はかねてより母から「バカな頭は母親から子供に遺伝する」という、都市伝説とも医学的事実ともつかない恐ろしい迷信を叩きこまれていて、自分自身が勉強嫌い……というよりそもそも勉強が出来なかったこともあって(嫁さんだけは、自分よりずっと頭の良い女性を貰わなければ……)という強迫観念みたいなものに囚われていたわけです。
まあ、それは事実に他ならないのですが、正直言えばローレン・バコールばりの、性根の曲がっていそうなルックスと、ナイスバディに参った……という事に帰結するような気もします。所詮、男はビジュアルに弱いというわけです。
いずれにせよ、その日は僕の人生の中で最もラッキーな日だったことは間違いありません。
それで単刀直入に電話番号を訊きました。
僕の記憶では、そのパーティー(土曜日でした)の翌日、ソッコーで彼女のところへ電話した……ということになっているんです。
ところがワイフに言わせると「ちがーう。あなたは直ぐには電話して来なかった。あなたが電話してきたのは翌週の水曜日よ」と、きっちり訂正されました。「こういう場合、翌日直ぐ電話してくるのは性急過ぎる。でも一週間以上、時間を空けてもいけない。だから水曜日くらいが一番確率が高いと思って居たの。そしたら、その水曜日に図星で電話してきたので、やっぱり自分の予想した通りだと思ったもん!」と勝ち誇ったような言いぐさです。
向こうも指折り数えて電話を待っていたというから、たぶん彼女の記憶の方が正しいのでしょう。
自分としては「攻めて、攻めて、攻めまくった」という達成感しか無いので、全ての事が、畳みかけるように起こったように記憶されてしまっているのかも知れません。
そんな調子だから、「国際結婚は有利か?」とか「法的にはどうなのよ?」とか「住む国や仕事はどうする?」など、そういう一切の計算、ないし打算は全くアタマに無かったわけです。
大体、アメリカの女性は威張っているし、とりわけテキサスのおんなは、男性陣からチヤホヤされて育っています。クルマから降りるとき、男性がぐるっとクルマの周りを回って、女性側のドアを開けてあげる……みたいな。
だから亭主関白の日本と、甘やかされ切ったテキサスおんなというのは、サイアクの取り合わせなのです。
案の定、そこらへんのコトは付き合いだして直ぐに徹底的に「調教」されました。
結婚式はニューヨークのリバーサイド・チャーチで挙げました。
そして、ブルックリン橋の横にある、てっぺんに黄金の天使を頂いたミュニシパル・ビルディングの中にあるマリッジ・ビューローに婚姻届を出しました。
ここまでは良かったのですが、次に日本に帰って当時住んでいた大森の役場に婚姻届を出しに行ったら、「家長」という欄に、亭主の名前を書き込むようになっている……これを見たワイフは、かんかんに怒ったわけです。
それでも気を取り直して妻の欄に名前を書き込もうとしたら、役場の人に「あ、そこじゃありません。外人の場合は妻の欄ではなく、備考欄に記載してください」と言われてワイフのアタマのあたりから水爆のキノコ雲みたいなのが噴出したのです。ここで危うく結婚が破たんするところでした。
日本人目線から言えば「国際結婚してアメリカ行ったら、あれが不都合、これが不都合……」みたいな、いろいろなライフハック、ノウハウ、打算みたいなものが当然、あると思います。
でも結婚というのは男女お互い様なわけで、ワイフのアメリカ人目線から見れば、自分の立場が「正妻」ではなく「備考欄」にダウングレードされるというのは、どう考えても理不尽です。
つまり僕の言いたいことは、国際結婚というのは、それなりにいろいろ障害がある……しかも外国の制度や習慣だけがそれらの障害を構成しているとは限らず、日本の制度や習慣だって外人から見ればヘンな事は沢山あるということなのです。
そのような不都合を挙げれば、キリがありません。
そういう無数のハードルを乗り越えられるだけの勢いが二人にあるか? それが国際結婚を成就できるかどうかの決め手だと思います。