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米田智彦米田智彦  - ,,,  11:00 AM

グラミー賞に輝いた日本人を君は知っているか?サウンドエンジニア、Sadaharu Yagiに聞く・前編

グラミー賞に輝いた日本人を君は知っているか?サウンドエンジニア、Sadaharu Yagiに聞く・前編

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世界の音楽界の最高の栄誉である、グラミー賞で二冠を達成した作品を手がけた日本人がいることをあなたはご存知だろうか? 

その方とはサウンドエンジニアのSadaharu Yagiさん。彼がレコーディングエンジニアとした参加したドラコ・ロサのアルバム『VIDA』が2013年末、第14回ラテン・グラミー賞を受賞。そして2014年、世界中で売れ上げを伸ばしプラチナ・レコードに認定された『VIDA』は、再び第56回グラミー賞のベスト・ラテン・ポップ・アルバム部門でグラミーを受賞しています。

そんなYagiさんとひょんなことで知り合い、インタビューの機会を得たライフハッカー編集部。前回の「編集長インタビュー」の松尾潔さんに続いて、編集長・米田の同郷福岡出身ということもあり、話は盛り上がりました。音楽の中心であり激戦区のロサンジェルス/ハリウッドで戦う孤高のサウンドエンジニアであり、サムライスピリット(ちょっぴり九州男児風味)を感じさせてくれるSadaharu Yagiさんの言葉にはものづくりの本質をとらえる力と、世界で戦うための心構えを教えてもらいました。そして、全ては音楽が好きだという変わらぬ情熱から、だということ。

では、編集長インタビュー第2弾、Sadaharu Yagi編、はじまりはじまり。


Sadaharu Yagi

LAを拠点に活動するグラミー賞受賞エンジニア。シャキーラ、リッキー・マーティンといったラテン・ミュージックからリンプ・ビスキットといったオルタナティヴ・ロックまで幅広いジャンルのレコーディングを手掛ける。 福岡県北九州市生まれ。九州大学音響設計学科(旧・九州芸術工科大学)を卒業。10代からドラマーとしてバンド活動を行い、20代で大学卒業後、LAに渡米。LAでバンド活動を続ける傍ら、多くのハリウッドの名門レコーディングスタジオで様々なプロジェクトに携わる。これまでに、アメリカ国内に限らず、イギリス、ドイツ、スペイン、ブルガリア、日本、台湾、ブラジル、ペルー、メキシコとインターナショナルなプロジェクトに参加。 2013年、ドラコ・ロサのアルバム「VIDA」を手掛け、レコーディング・エンジニアとして第14回ラテン・グラミー賞を受賞。それに続き2014年アルバムは第56回グラミー賞も受賞。


エンジニアといっても「音」ではなく「音楽」を理解していること


米田:Yagiさんは九州大学の音響設計学科に行かれたそうですね。そして、大学卒業後にロサンゼルスに行かれたんですね。英語もできないまま向こうに飛んだとのことですが、不安はありませんでしたか?

Yagi:まったく英語ができなかったのですが、自分の好きな音楽が日本にはなかったので、海外に行きたいという強い気持ちがありました。一応、大学まで出たんですけど、卒業が迫った頃は、「行くなら今しかない」と。30歳くらいになって行くとなったらチャレンジするのはもっと難しくなるとも思ったので、「言葉ができなくて、もう行っちゃえ」と、思い切って行きましたね。

でも、向こうに行くのは簡単なんですが、いざ生活をしようとなると、まずビザが必要になります。どうやれば合法的に滞在できるのかとか、いろいろと考えなくてはいけない問題がありました。知り合いもいないですし、英語もしゃべれませんから、仕事がしたいなんて言っても労働ビザが下りるはずがありません。

そこで、初めの1年は学生という形を取ろうと、UCLAのExtensionというところでレコーディングエンジニアリングの勉強をやりました。そこに1年3カ月ぐらい通って、その間に就職活動というか、コネを探したり、ハリウッドの業界のスタジオに行ってみたり、仕事につながることにトライしました。

コネクションもなかったので、それしか方法論がなかったんですね。そうやって行けるところには取りあえず顔を出して。当初の英語力では電話で交渉もできませんから、取りあえず書くことならできると思って、Eメールをいっぱい送りましたね。

米田:LAでは、ご自身でも音楽活動をなさったんですか?

Yagi:やりましたね。というのも、この点は日本とLAの音楽の違いを実感するんですが、LAのプロデューサーやハリウッドのトップのエンジニアさんって、実は自分もミュージシャンって人が多いんです。エンジニアであれプロデューサーであれ、音楽の物理的な面ばかりを言って作っても、良い音楽は作れない。最終的なゴールは音じゃなくて音楽なので、そこにたどり着くんだというところを忘れないために、エンジニアでも自分でバンドを持ってるという人がたくさんいるんですね。

そのことを目の当たりにして、僕もやっぱりプレーヤー目線という部分をもっと勉強したり経験したりした方がいいなと。じゃないと、自分がエンジニアとして一緒に仕事しているミュージシャンを本当の意味で理解できていないかもしれませんから。


アメリカでトップを取れば、イコール世界一になれる


米田:Yagiさんのお仕事を拝見すると、ラテン、R&Bに加えて、ロックバンドのリンプ・ビズキットともお仕事をやっていたり、幅が広いですよね。若い頃はどんな音楽に惹きつけられていたんですか。

Yagi:僕が若い頃は、グランジロックみたいなのが終わって、ノー・ダウトとか、カリフォルニアロック的なものが全盛で、ミクスチャーな音楽がどんどん出てきた時代でした。ただ、そういう主流のものをチェックしておきながらも、意外に70年代とか古いものが好きだったんですね。でも、僕はロックをメインに聴き、自分でもバンドをやっていたこともあって、80年代のポストパンクとかニューウェーブとかそのあたりもよく聴いていました。アメリカよりもイギリスの音楽が面白いとか思うようになっていったんですね。特に、ポストパンクのエネルギーが好きだったので、実はロンドンに行こうかなともしばらく思ったんですよ。

米田:ロックが好きだとロンドンに行きたいと思う人も多いですよね。

Yagi:でも、どうせ英語がしゃべれないわけですから、別にロサンゼルスに行こうがロンドンに行こうが苦労は同じなんですよね。そこで、音楽の規模という意味で考えてみたんですが、やっぱロンドンってヨーロッパの中心なんだけど世界の中心ではない。結局、ロンドンで成功したアーティストも最終的にはアメリカのマーケットに向かうんです。だったら、最初からロサンゼルスに行ってみようと思いました。

米田:アメリカでトップを取れば、それがイコール世界一っていうことになるということですね。

では、UCLAの学生となって1年間の猶予みたいな部分もあったと思うんですが、次にプロとしてどうやっていのか、どうやって仕事をしていくのかという問題がありますよね。その1年って結構大変だったんじゃないですか。

Yagi:振り返ると大変でしたね。もうちょっと英語が分かったり、アメリカの社会システムとかが分かっていればよかったんですけど、なんにも分からず行ってしまったので。本当に余裕がないというか、見ず知らずの外国の都市で何をしているのか、自分でもよく分からない毎日でした。大変という意識さえなかったかもしれません。とりあえず、毎日必死に「ここで自分の土台を作んなくちゃいけない」と思ってましたね。


来た仕事は全部受けるという姿勢でした


米田:プロのサウンドエンジニアとして初めて手掛けられた仕事というのはどういったものだったんですか?

Yagi:一般の皆さんはレコーディングスタジオで働くと言うと、CDを作っている、もしくは、アーティストのために音楽を作ってるととらえると思うんですけど、テレビ番組の音楽を作ったり、いろいろな仕事があるんです。例えば、アーティストとレコーディングしても、その曲はアーティストがテレビ番組に提供していて、アルバムには入ってないとか、そういうのもいっぱいあります。 たまに映画音楽の一部になったりとか。『セックス・アンド・ザ・シティ』のムービートレーラーの音楽とかも当時やらせてもらいました。

米田:1つ1つの仕事をやっていくうちに、いわゆるアーティストのアルバム制作みたいなところに次第に関わるようになっていったんですか。

Yagi:インディーものなどをやりながら、スタジオを変えていって、3つ目のところでドラコ・ロサのプロダクションからお呼びがかかりました。彼の音楽を、彼の下で音楽を作るということになりました。もしくは、彼直々ではないけど、彼がよく働くスタッフたちの音楽を作るといった仕事ですね。

米田:ご自身のスキルとか強みみたいなものを確立させるために気を付けていた部分はどの辺ですか。アメリカのミュージックビジネスの世界はすごく競争があると想像するのですが。

Yagi:やっぱり言葉の壁というものがあって、会話の途中で、70年代のアメリカのコメディから引用されたジョークだったりすると、僕はもうまったくわからないんです。アメリカってジョークの国なんですね。大統領もジョークを言う国ですから、ジョークって言っても冗談で済まされないんです。文字通り、コミュニケーションの一部なんですね。だから、これがわからないっていうのはかなりの痛手で、コミュニケーションに支障を来してしまうんですね。

当時の僕にとってはすごくマイナスの部分でした。どう頑張っても追いつけないんです。まさか60年代からのアメリカのテレビ番組を観るわけにはいきませんから。小手先の英語力ができるようになったところでハンディキャップは当然あるんです。どうにかしてその欠点を埋めなければいけないとずっと思っていました。

そこで辿り着いた自分なりの方法は、来たものは全部受けるということでした。基本的に僕は我が強い性格なんで、嫌なものは嫌って簡単に言うタイプなんですけど、やって来たチャンスがどこで何につながるか分からないですから、相手が少々無理を言ってきても断らずにやるし、自分がやると言ったからにはもう120%の結果を出すと決めましたね。

すごく当たり前に聞こえるんですけど、意外にこのことをコンスタントにできてる人って日本にもアメリカにもあまりいないんです。ですから、そこをちゃんとやっていくと言葉では埋まらなかった部分のコミュニケーションというか、信頼関係ができてくるんです。今ではそれをなんとか確立できたかなとは思っています。言葉にするのは難しいんですけど、「こいつに任せとけば取りあえず間違いない」という雰囲気にもっていくという感じですね。

米田:断らないし、間違えないし、仕事のクオリティは担保できる。「Yagiは信頼できる」みたいなことがだんだんと積み重なって仕事につながっていったんですね。

Yagi:はい。僕のような仕事って不定期なので、突然呼ばれることが多いんですけど、一番ひどいときなんか休日の朝の5時に電話が掛かってきて「7時にスタジオ来れる?」と言われたりしたことがありました。「あれ?間違ってアラームセットしたかな」って思って、2回ぐらい無視して、まだ鳴り続けるので見てみたらスタジオからの電話だったという。

電話に出てみたら、「うまくスケジュールが回らなくてスタッフがスタジオにいないから来てくれ」みたいなこと言われるんです。そんなの当然、ノーって言ってもいい話ですし、しかも休み日なんですよ。なのに、「今から2時間後に来て」なんてことを言われる。でも、僕は「OK」と言って行きました。そういうときに電話が掛かってくること自体、僕に期待を寄せてくれている証だし、「こいつなら来てくれるかもしれない」っていう信頼関係ができているわけですから。

米田:どんな仕事にも当てはまる部分があると思うのですが、若いときって声が掛かったときにいつでも行けるぞ、みたいな態勢を心積もりとして作っておくことってすごく大切ですよね。

Yagi:そうとも言えるんですが、どう考えても利用されてるだけなんですよ(笑)。だけど、僕は「利用させて逆に利用してやる!」という気構えでした。周りのアメリカ人からは、「気を付けた方がいいよ。君は日本人だから分かんないだろうけど、利用されてるだけだ」なんてアドバイスをもらってたんですけど、自分のことをそんなにバカだとは思ってないし、肉を切らせて骨を断つ的な感じで、利用させてやってるふりをして、全部こっちが持っていってやろう、そんな気持ちでやってましたね。


ロサンゼルスにいれば世界中の音楽の仕事がやってくる


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2013年、4月にリリースされた『VIDA』はビルボードチャートのトップ・ラテン・アルバムで1位を獲得。さらにラテン・グラミー賞において、最優秀アルバム賞(アルバム・オブ・ザ・イヤー)を受賞。
その後も世界で売れ続け、第56回グラミー賞のベスト・ラテン・ポップ・アルバム部門でグラミーを受賞している。


米田:お仕事はアメリカからいろんな国に広がっていってると思うんですけど、アメリカ以外の国でのお仕事っていうのはどういった感じでジョインするんですか。いろいろコネクションを作られていった上での流れの中だとは思うんですが。

Yagi:アメリカっていうのは、アメリカの音楽のレコーディングだけをやってるんじゃなくて、スペインのレコーディングもやっていますし、ドイツやギリシャからスタッフも飛んできますし、台湾などのアジア人もやって来ます。ですから、別にいつもアメリカ人と働いているわけじゃない。たぶんロサンゼルス、ハリウッドというところがもう世界の音楽ビジネスの中心なので外国人のスタッフが毎日来る。そこで仕事が広がっていく、そこで起用されるということですね。別に僕の方からあちこちに行ってるわけではなくて、アメリカにいながらいろいろな国のスタッフとコンタクトを取っているという状況なんです。

米田:それから、やはりこれは訊いておきたいのですが、グラミー賞受賞という第一報を聞いたときどんなお気持ちでした?

Yagi:素直にうれしかったですね。いい仕事したとは自分でも思うんですけど、ドラコ・ロサという人間自体がそもそも僕としてはありがたすぎる超有名なプロデューサーでミュージシャンですから。彼のアルバムじゃなかったらいくら僕が力を発揮したところでたぶんこうはなってないでしょう。

ドラコと仕事を始めた2010年ぐらいの話ですね。アルバムのレコーディングが始まったのは2011年だったと思うんですが、8カ月ぐらいかけて作って、もう2012年の頭にはアルバムはできていました。

それからリリースとかCDの契約とかいろいろあって、実質発表されるまで1年ぐらい時間があったのですが、彼と仕事をし始めたときが、人生のターニングポイントだったとは思います。同じ人間と長い時間、一緒に時間を過ごして、いつもはプロジェクトベースで、そのプロジェクトが終わったらまた違うプロジェクトをやって、という日々の中で、ドラコ・ロサという人間とがっつりやらせてもらって、いろいろと学びました。


7割のものは作らない。常に10割以上のドラコの姿勢に感銘を受けた


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米田:ドラコ・ロサという人はどんな方ですか。どういう気付きを与えてくれる方ですか。

Yagi:言ってしまえば、破天荒、常識破りな方ですね。レコーディングセッションでも、時間通りに来ないと思ったら、逆に「急に来てくれ!」と言われることもありますし。でも、ドラコがボスであり、アーティストであり、プロデューサーであり、彼が全てなわけですから、それは当たり前なんです。

気分が乗っているときは、今まで他の人では見たことがないような集中力を見せますし、その瞬間、何かが生まれようとしているのが分かるんです。1週間のレコーディングセッションの内容が決まっていて、1日目はここまで、2日目はここまで、3日目はここまでやってみたいな、商品やプロダクトを作るようなロボット的なやり方ではなく、気分が乗っているときにぐわっーとやって新しいものを生み出していく。そのときの緊張感っていうのは半端ないですし、僕らスタッフは間違ったりとか、レコーディングしてなかったりとか、ミスは絶対に許されません。何があってもこれは押さえなくちゃいけない。

つまり、クリエイティブなエネルギーが湧いてくるときと湧いてないときのオンとオフ、波があるんです。それを読みながら音楽を作るっていうのはたぶん今までもあったんですけど、僕がやった仕事の中では、ドラコが一番強かった、という感想があります。

でも、彼ぐらいの実力を持っている人だと、気分が乗ってようが乗ってなかろうが7割ぐらいはいつでもできるんです。商品として及第点のものはすぐに作れる。でも、それを絶対にしない潔さ、それはわがままとも言えるんですが、7割のものを適当に作って提供してもなんの意味もないという考え方を持っている人なんです。

米田:そこが超一流たるゆえんというか、例えば10とか11とか12とか、もうそういったところを最初から目指してるという。

Yagi:そうでしょうね。非常にピュアというか、常に本物を作ろうとしているんですね。作って、作って、作って、ものすごい時間を作り上げて、一度頭打ちになると、逆に1個1個引いていって、「やっぱりこのギターも要らない」「このコーラスも要らない」「ピアノも要らない」とカットしていって、最後にすごくシンプルな形に戻って、それを何回も聴いて、「この曲、要らない」と言ってしまう。端から見ていると、「ここまでやってよく要らないって言えるな」って思ってしまうんですが、別にそんな悪い曲でもないし、彼がやってるわけですからそれなりに形はまとまってるんですけど、要らないっていう潔さがあるんですね。

米田: Yagiさんのスタイルは先ほど、断らない、逆に利用してやる、みたいなところだとおっしゃってましたけど、波がある人でもとことん付いていって結果を出す、ミュージシャンの作品であっても自分が関わる以上は全部付き合って、自分のカラーを出す、自分の仕事に落とし込む、と考えていらっしゃるんですね。

Yagi:すごく考えてます。エンジニアってたぶん日本で言うと、プロデューサーの下で働かれてる方って感じなんですけど、アメリカとかだとエンジニアがそのまま何年後にプロデューサーになっています。エンジニアそのものにプロデューシング能力がないと、エンジニアは務まらないんですね。ただ単に機械やマイクのことを知っておけばいいという話ではなくて、音楽全体が見えないとダメなんです。

そういう意味では非常に全体の空気を察知して、2歩ぐらい先まで読む。プロデューサーが指示を出さなくても、2歩先、3歩先が分かってるという能力がものすごく大事になるんです。コミュニケーション能力というか、空気を読む力っていうのが一番重視されるんですね。

でも、ドラコとの仕事になると、逆になにかをしたらダメなんです。彼の気分が落ちることがあっても、コバンザメのように必ず彼の後ろにいる。で、彼の前に行くこともできるけど、絶対に行かない。働く人によっては僕が2歩前に出てあげる場合もあるわけです。つまり、自分が誰と仕事してるかによってルールが変わる世界なんですね。現場を読みながら、自分のポジションを少しずつ変えなくちゃいけなくて、おそらくその能力がアメリカでエンジニアとしてやっていきたいのであれば非常に大事だと思います。


日本人の勤勉さは大きな武器。相手に波があっても自分は常に平常心を貫く


米田:そこで無意識的だと思うんですけれども、自分の日本人らしさみたいな、もしかしたらきめ細やかさとか、細かいところに気付くとか、そういうところがいいように作用している部分もあったりします?

Yagi:あるのかもしれないですね。気遣いというか、まず自分よりも相手を先に考えるというのはアメリカ人でもできるんですが、たぶん日本人はアベレージでみんなできると思うんです。みんな平均的にそれはできると思うんで、それはある意味で役に立ってるかもしれないですね。あと、やはり日本人は勤勉だと思うんです。相手がすごい波があっても、僕は波を作りませんから。僕にも波があったらもう話になりません。そういう意味で波がある人間にとっては、勤勉な人間というのは重宝されるのかな、と思ったりもしますね。


※9/21(日)公開の後編につづきます。


Sadaharu Yagi Offical Website


(文・聞き手/米田智彦)

 
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