あんまりワクワクしないので遠慮しておきます…。 "@yoppymodel: イケダさん東京に居るんですか?良かったら対談しません?「パクリは是か非か徹底討論!」的なやつ。時間は合わせますし場所もどこかの場所借りればなんとかなるかなぁと。"
— イケダハヤト (@IHayato) 2014, 9月 12
帰省中、「イケダハヤト氏が全クリエイターに対して宣戦布告を開始」という記事を書いてくださったヨッピーさんからこんな絡みを貰いましたが、お断りしました。だって全然ワクワクしないんですもの…。
「ワクワクしないこと」はやりません
@IHayato えー絶対面白いと思うんだけどなぁ……。ご本人はわかりませんが周りの人は「ワクワク」しだすと思いますよ。
— ヨッピー (@yoppymodel) 2014, 9月 13
まぁそれはそうなんでしょうけど、こういうのは「ぼく」がワクワクしないとダメなんですよね。
「ワクワクしない」というのは、人生を生きる態度として最悪のことだと思うんですよ。エネルギーをどんどん消耗していきますし、そもそもワクワクしないことに対しては、価値を出すこともできません。
ぼくは、「ワクワクしない」ということに敏感でありたいと考えています。事業的な判断を考えると色々やった方がいいこともあるんですが(高額サロンとかブログ塾とか書籍の執筆とか)、いまいちワクワクしないので取りかかることができていません。
なぜワクワクしないのかについては、言葉で説明してはいけないものだとも思います。変にロジカルにやろうとすると、「やった方がいい」という結論が出たりするんですよね。
たとえば、「ワクワクしないけど、ヨッピーさんとの対談で10万円儲かるならやろう」みたいなビジネス的に合理的な結論に達してしまうんですよね。で、その対談をやってみて「やらなきゃよかった…」と後悔するのでしょう。
「ワクワクしない」と感じたら、その時点で「切る」べきです。直観はだいたい正しいですから。言葉で説明しないのがコツです。
その逆についても同じで、ワクワクすることについては、言葉をすっ飛ばしてやってしまうべきです。とりあえず熱がある内に動いてみて、ダメなら途中でやめたり、方向転換すればいいんです。中止したプロジェクトは風船のように浮かべておけば、いつかまた引っ張りだす機会が出てくるでしょう。
こういう考え方の背後にあるのは、ぼくが感じている言葉の恐ろしさなのかもしれません。ときに言葉は、「自分」を悪い意味で塗り替えてしまうんですよね。本当はやるべきことではないのに、言葉で説明した途端に「やるべき」という結論にすり替わってしまう。こういう怖さを、よく理解した方がいいと思うんですよ。
というわけで、ぼくは「ワクワクしないこと」はやりません。裏を返すと、ぼくがやっていることはほとんど「ワクワクしていること」だったりもします。どうぞよろしくお願いします。
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