昭和天皇実録:元首から象徴へ…面談者の数に役割変化反映
毎日新聞 2014年09月09日 05時10分(最終更新 09月09日 07時56分)
宮内庁は9日、昭和天皇の87年の生涯を記録した「昭和天皇実録」を公開した。この昭和天皇実録に関し毎日新聞は、国政に関わる人物が天皇と1対1やごく少人数の場で会話したとみられる記載を集計した。内容は多くが略されているが、宮内庁は重要人物との面会は網羅して記したとしており、時代ごとの「天皇と国政」の距離・影響が分かる可能性がある。戦争の進行と共に軍幹部との面談が激増し、1947(昭和22)年の新憲法施行を機に政治家や官僚の面談が激減したことが具体的データで裏付けられた。一方、「象徴」となった戦後も国際関係などに関わる重要な時期に政治家らの面談が多くなる傾向がうかがえた。
記者15人で分担し、「内奏(国政報告)」「懇談」「進講」などの記載で、軍幹部、政治家、省庁幹部と会ったケースを抽出。単なる離着任あいさつや多人数の会食、行事の同席などは除いた。侍従や侍従武官など宮内省(現宮内庁)関係も対象から外した。
その結果、面談者数は即位後、35(昭和10)年までは年間200〜300人台で推移していたが、日中戦争開始の前年(36年)から軍人を中心に増え始め、最多は戦局の転機となったミッドウェー海戦があった42年の延べ869人。終戦の45年も804人に達したが、翌46年が337人、新憲法施行の47年が193人と急減し、その後86年まで年間100人前後で推移した。即位後約1週間しかなかった26年は2人、病床にあった89年は面談したとみられる記載はなかった。
面談者の内訳を見ると、軍人は、青年将校が大臣や軍首脳を襲撃した5・15事件(32年)、2・26事件(36年)が起きた両年は約160人あり、ともに前年の約1・7倍になった。対米開戦後は軍首脳が連日、戦況報告に訪れ、42年は450人を超え最多だった。この時期は集計上「政治家」と分類した首相も、東条英機ら軍出身者が務め、面会者の大半を軍関係者が占めたことになる。戦前はいずれも軍人の割合が3分の1を超えるが、特に戦中の42、44年は5割を超えた。
新憲法は天皇に関し、「象徴」で「国政に権能を有しない」とし、政治に直接関わらないと定めた。ただ、戦後も首相や閣僚が定期的に面談し、官僚も「進講」として国政の課題を説明していたことが知られている。日米安全保障条約改定を巡って紛糾した60年の面談者は134人(前年比13%増)、沖縄返還、日中国交正常化と大きな外交案件があった72年は139人(同32%増)と、前後の年より多くなっており、外交の節目で一定の存在感があったことがうかがえる。