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ライフ
【昭和天皇実録公表】二・二六事件「御自ら暴徒鎮定に当たる御意志」 主要記述抜粋(誕生~日米開戦)
2014.9.9 10:24
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神代を除く歴代天皇で最長となる87年余りにわたる生涯をまとめた「昭和天皇実録」には、昭和天皇の事跡や歴史の重大場面がどのように記されているのか。主な記述の原文を抜粋した。(数字は洋数字)
誕生
明治34年4月29日 午後10時10分御降誕、御身長1尺6寸8分(約51センチ)、御体重800匁(もんめ)(約3000グラム)。御産所御次ノ間において御産湯を受けられる。
命名
同年5月5日 (明治)天皇より御名を裕仁(ひろひと)、御称号を迪宮(みちのみや)と賜(たま)わり、宮内大臣名をもって官報に告示される。(中略)なお、親王のお印は皇太子妃の御選定により「若竹」と定められる。(中略)一同は万歳を唱え、これが宮中の御宴において万歳が唱えられた初例という。
明治天皇崩御
明治45年7月29日 午後10時43分、天皇崩御す。急報により、午後11時12分、雍仁(やすひと)親王・宣仁親王と共に御出門、御参内(さんだい)になり、御尊骸に御拝礼になる。皇后より御尊顔を御記憶になるべき旨のお言葉あり。
欧州訪問
大正10年5月9日 (ロンドンのヴィクトリア駅に到着した昭和天皇=当時は皇太子=を英国皇帝ジョージ五世が出迎え、一緒にバッキンガム宮殿に向かう御召馬車に乗車する際)英国皇帝より最上位の席を勧められる。これを再三御辞退されると、英国皇帝が先(ま)ず御乗車になり第二位席を占められたため、皇太子はやむをえず、皇帝右側の第一位席に御着座になる。(中略)諸道路には拝観のため市民が殺到し、とりわけ宮殿前広場の周囲並びにヴィクトリア女帝記念碑の周辺は、見渡す限り拝観者が黒山をなす。
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