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2014.09.07

「バカみたい問題」について

 「バカみたい問題」はバカみたいである。たぶん、私の造語だと思う(他の人が使っているの見たことないので)。なので私がその意味を書く。ある出来事に接したとき即座に「あ、バカみたい」と思う問題である。
 「バカみたい問題」が若干バカみたいじゃないとすると、その出来事を「バカみたい」とその場で反応しても、「あー、これ『バカみたい問題』だなあ」という認識が同時に起こることだ。つまり、「バカみたい問題」をバカにしているということではない。どっちかというと、なんで自分がそう思うのだろうかということで、なぜそういうふうに即座に認識するかを、メタ認識でカプセル化する。ちょっと込み入ってきましたね。具体的な話をしましょう。
 昨晩、NHK「デング熱拡大予防 「新宿御苑」閉鎖へ」(参照)というニュースを見たら、即座に、「バカみたい」と思った。そして、あ、これは、また、「バカみたい問題」だなと思った。
 即座に「バカみたい」と思った理由は簡単で、デング熱で「新宿御苑」閉鎖しちゃう発想はどこから出て来ているのか? なんでこんな大騒ぎをするのか? ということである。
 前提知識はほとんど常識に属する。厚労省のサイトにもデング熱についての基礎知識がまとめられている(参照)が、なかでも、「問7 罹ると重い病気ですか?」がわかりやすい。


問7 罹ると重い病気ですか?
答 デング熱は、体内からウイルスが消失すると症状が消失する、予後は比較的良好な感染症です。しかし、希に患者の一部に出血症状を発症することがあり、その場合は適切な治療がなされないと、致死性の病気になります。

 デング熱は「予後は比較的良好な感染症」であって、エボラ出血熱とはまったく違う。大騒ぎするほどの感染症ではない。
 ついでに今後はどうかというと。

問11 日本国内でデング熱に感染する可能性はあるのでしょうか?
答 日本にはデング熱の主たる媒介蚊のネッタイシマカは常在していませんが、媒介能力があるヒトスジシマカは日本のほとんどの地域(秋田県および岩手県以南)に生息しています。このことから、仮に流行地でウイルスに感染した発症期の人(日本人帰国者ないしは外国人旅行者)が国内で蚊にさされ、その蚊がたまたま他者を吸血した場合に、感染する可能性は低いながらもあり得ます。ただし、仮にそのようなことが起きたとしても、その蚊は冬を越えて生息できず、また卵を介してウイルスが次世代の蚊に伝わることも報告されたことがないため、限定された場所での一過性の感染と考えられます。
 なお、ヒトスジシマカは、日中、屋外での活動性が高く、活動範囲は50~100メートル程度です。国内の活動時期は概ね5月中旬~10月下旬頃までです。

 ということで、既存の知識からすると、現下のデング熱感染の広がりがあっても、期間限定商品みたいなもの。だから、今がゲットのチャーンスというとふざけていいもんではないが、そのあたりから、じわじわ来る「バカみたい」が続く。
 ただ、温暖化している日本でしかも都市部だと年がら年中あったかいので、ウイルスをもって越冬するヒトスジシマカも出てくるかもしれないなという思いもある。
 それを言うなら、今回のデング熱騒ぎも、あれだ、「ガードレール金属片問題」みたいなものではないだろうか。「ガードレール金属片問題」ももう10年近く前になるかあと遠い目になるが、2005年春、たしか発端は自転車に乗っていた中学生がガードレールから突き出た金属片に接してけがをしたということだった。そこから、全国のガードレール金属片を調べたら数千箇所も発見され、問題となった。一時的には大問題になったように思う。というかマスコミがバカ騒ぎしていた。渦中、「バカみたい」と思ったように思う。だからこれを思い出すわけだが。
 この謎の全国事件の真相は国土交通省の専門家がほどなく明らかにして終わった。原因、ガードレールをこすった自動車の傷痕でしょ。そんなの普通に世の中の自動車の傷とか見ていたらわかるじゃん。「バカみたい……問題」。
 今回のデング熱もそういうことじゃないかという印象もある。ただ、この件についていうと、毎年越冬していたのかとか、あるいは一定数恒常的に入っていたのかとか考えると、それもないかなあという感じもする。
 話を新宿御苑封鎖に戻る。率直なところ当初、「どこのバーカがどんな理由で、こんな公権力を振るっているんだ?」思った。市民の行動の自由に介入していくる公権力ほど不愉快なものはない。
 そして思った。「バカみたい問題」というのは、実は、その認識のカプセル化が伴うことでも明らかなように、「バーカみたいだよなあ。日本人っていつもこうだよな。日本の公権力っていつもこうだよ。こういう公権力の小出しのエキササイズを定期的に繰り返すことによって、日本人は公権力に対して、バカじゃあしかたねーよなあ」という諦観を学習していくことになる。
 つまり、「バカみたい問題」の意義は、学習性無気力の問題なのな。学習性無気力というのは心理学者のマーティン・セリグマンがスキナーに楯突いて発見したもので……あー、ウィキペディアでも見といてくれ、たぶん、書いてある。そうでなければ、ツイッターで人気の心理学の先生に聞くとか。
 かくして、日本人は定期的に「バカみたい問題」に接することで、それがバカであることを高度に認知しつつ、なんの行動も起こさないという無気力を習得するのである……ということだが、まあ、じゃあ、行動を起こすといいか、というと、そのあたりも高度に認知できちゃうのな。高度に認知というのがそもそも、この学習性無気力習得の共犯者だからな。それを打破するには、もっとすごいバカが繰り出さないと驚きはないんだろうと思う……だから……以下略。
 しかし、今回の「バカみたい問題」も、それなりに官僚支配の定期的なお仕事という以外に、日本人へのご配慮みたいなものもあるに違いない。あれだ、「狂牛病全頭検査」みたいに。あれは壮大な「バカみたい問題」だったが、日本の現状的にはしかたない配慮だったかもしれない。
 今回の新宿御苑封鎖の主体、根拠、理由だが、いちおうなぞってみるかなと思った。
 主体は環境省だった。都の所管ではないなとは思っていたが、感染症関係なんで厚労省かなとちょっと思っていた。環境省としてはNHK報道だと「感染の拡大を予防する必要がある」というのはちょっと違和感がないわけではない。環境問題関係者が、ちょっと調べてみたいなあこの現象という知的な関心があって、ちょっと国民を公権力でどけてみたのかもしれない。いやあ、悪気はないし、支配とかじゃないんですよお、みたいな軽いのりで公権力を振るってみましたと。
 根拠は、たぶんこれからな。

国民公園、千鳥ケ淵戦没者墓苑並びに戦後強制抑留及び引揚死没者慰霊碑苑地管理規則(昭和三十四年五月六日厚生省令第十三号)

第六条  新宿御苑、墓苑及び慰霊碑苑地の公開日時については、別に定める。
2  環境大臣は、特に必要があると認めるときは、前項の規定による新宿御苑、墓苑及び慰霊碑苑地の公開日時を一時的に変更することができる。この場合においては、入口にこの旨を掲示する。


 うかつだったし、こりゃ「バカみたい」とか他人のこと言えた義理じゃないなと思うのは、最初から環境大臣の権限なわけだな、新宿御苑の封鎖は。
 そして、環境相が「特に必要があると認める」ということで、その必要性は「感染の拡大を予防」なんだろう。わかりやすい。「バカみたい」と反射せずにはいられない。ただ、これ深掘りすると前例とかあるんじゃないか。
 話は以上。
 でもないか。「バカみたい問題」は認識でカプセル化され学習性無気力に至るというほかに、これ、ネットの話題の典型的な地雷でもある。
 ネットはもう炎上してなんぼになってきたから、勇気をもって地雷を踏みまくる猛者が多いけど、あれです、「バカみたい」ってネットでいうと、「バカっていうお前がバカー」といういう反応が起きる(それ自体「バカみたい問題」だけど)。
 なにかを「バカ」というと、「人をバカって言ったなあ、そういう奴は心の清くない悪いやつだ懲らしめてやれ、うぉー」ってなるんですよね。
 まあ、そういうことなんで、「バカみたい問題」というのは、だんだんタブーにもなりつつある。
 ということでした。
 しばらくしたら、新宿御苑に行くかなあ。青春の思い出いっぱいだからな。
 
 

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