よもちかブログ

「私の世界」の話をしよう。

人との縁についての話

人との縁って流動的なものだよなぁということを考えている。以前は仲良くしていたのに、今ではなんとなく波長が合わないというか、気が合わないというか、特に話すことが見当たらないとか、そういうことが起こる。でもしばらくするとまた波長が合う感じがして、よく話せるようになる。こういうとき、縁が動いているんだなって、そんなふうに思う。

 

人にはそれぞれ、人付き合いの許容量というものがあると思う。一度に気を配れる範囲は限られている。家族や友達をひとりひとり大切にしようと思ったら、どうしても「大切でない人」も発生する。自分にとって、わりとどうでもいい人、特に関心のない人、幸せになってくれるには越したことはないけれどそこまで興味の持てない人。そういう人たちは、許容量の外にポロポロこぼれていって、ある一定期間を過ぎると縁が切れて交流がなくなる。

 

出会ったすべての人を大切にするなんて無理だし、すべての縁を持続させることも現実的ではない。人は出会って、それから別れる。縁はつながって、それから切れて、ときどきまた復活したりする。とても流動的で、きまぐれで、自分の力ではない何かの作用が働いているような気分になる。出会ったすべての人を大切にすることは難しいけど、その時々に繋がった縁を、できるだけ大切にすることはできそうだなって思う。

 

でも、なかには悪い縁、のようなものもあると思う。自分から力を奪っていくような、接触したあとになんだか妙に疲れるような、そんな縁。そういう縁があるから「すべて大切に」じゃなくて「できるだけ大切に」という言葉を使ったのだけど、悪い縁は、つまり相性が悪いということなので、相性が悪いということが分かったら、そっと離れるのが賢明だと思う。物理的にか、あるいは心理的に距離を取れば、そのうち悪縁は消えてなくなる。(といいなと思っている)

 

縁は流動的だし、自分には許容量がある。だから悪い縁はどんどん放流してしまっていいと思う。そこにエネルギーを取られて、本当に大切にしたい人を思うためのエネルギーが枯渇してしまっては元も子もない。人は、誰かと縁が切れれば、他の誰かと縁がつながるものだと思うから、縁が切れることに罪悪感を覚える必要はない。古い縁が整理されたら、新しい縁が舞い込んでくる。

 

私は、人との縁をできるだけ大切にしたいと思う。大切にしたいから、手放すべきときには手放して、関わりを持つべきでないときには持たない。そういう選択ができる人になりたいと考えている。抱え込んで手元に置き続けることだけが、大切にするってことではないと思う。

 

よもちかでした。