朝日新聞に対する不満は私も多々持っているが、特にブログ記事を書く場合、良きにつけ悪しきにつけ朝日を参照するのが得策だと考えている。『kojitakenの日記』に、NHKプロデューサーの村松秀氏が書いた『論文捏造』(中公新書ラクレ,2006)を参照しながら、イギリスの科学誌『ネイチャー』とアメリカの科学誌『サイエンス』の商業主義(コマーシャリズム)、つまり「売らんかな」根性を批判する記事を書いたが、朝日新聞にもコマーシャリズムの悪弊が多々ある。主に「リベラル」層を読者層とする朝日の混迷は、そのまま日本の「リベラル」の混迷を象徴する。たとえば小泉構造改革に親和的だったことなどもその典型例だ。そして、よりにもよって極右の安倍政権時代になって故吉田清治氏の証言が虚偽だったことを認めた今回の件も混迷を象徴しているように思われる。誤解を恐れずに言えば、吉田氏の発言の虚偽を認めるなら90年代にやっておけ、右翼ナショナリズムの火に油を注ぐタイミングでやるのは、朝日の訂正それ自体は正しいけれども、政治的には有害だということだ(もっとも、今後さらにナショナリズムの火が燃え盛るようになってからやるよりは今やっておいて正解だったといえるかもしれないが)。
この件に関しては、当の8月6日付朝日新聞に載った社会学者・小熊英二氏の論評に見るべきものがあったように思う。以下一部を省略して引用する。
慰安婦問題が1990年代になって注目されたのは、冷戦終結、アジアの民主化、人権意識の向上、情報化、グローバル化などの潮流が原因だ。
冷戦期の東アジア諸国は、軍事独裁政権の支配下にあり、戦争犠牲者の声は抑圧されていた。元慰安婦は、男性優位の社会で恥ずべき存在と扱われていた。80年代末の冷戦終結、韓国の民主化、女性の人権意識の向上などがあって問題が表面化した。韓国で火がついた契機が、民主化運動で生まれたハンギョレ新聞の連載だったのは象徴的だ。
日本でも、自民党の下野と55年体制の終焉、フェミニズムの台頭があり、経済大国にふさわしい国際化が叫ばれていた。
情報化とグローバル化は、民主化や人権意識向上の基盤となった。しかし、このことは同時に、民族主義やポピュリズムの台頭や、それに伴う政治の不安定化も招き、慰安婦問題の混迷につながった。
例えば、外交は「冷静で賢明な外交官が交渉にあたる秘密外交」が理想とされることが多い。だが、民主化と情報化が進んだ現代では、内密に妥協すれば国民感情が収まらなくなる。
政府が強権で国民を抑えられた時代しか、秘密外交は機能しない。日韓政府が慰安婦問題の交渉で両国民を納得させる結果を出せなかったのは、旧来の外交スタイルが現代に合わなくなったのが一因だ。
大きな変化を念頭にこの問題をみると、20年前の新聞記事に誤報があったかどうかは、枝葉末節に過ぎない。
(中略)
この問題に関する日本の議論はおよそガラパゴス的だ。日本の保守派には、軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にし、それがなければ日本には責任がないと主張する人がいる。だが、そんな論点は、日本以外では問題にされていない。そうした主張が見苦しい言い訳にしか映らないことは、「原発事故は電力会社が起こしたことだから政府は責任がない」とか「(政治家の事件で)秘書がやったことだから私は知らない」といった弁明を考えればわかるだろう。
慰安婦問題の解決には、まずガラパゴス的な弁明はあきらめ、前述した変化を踏まえることだ。秘密で外交を進め、国民の了解を軽視するという方法は、少なくとも国民感情をここまで巻き込んでしまった問題では通用しない。
具体的には、情報公開、自国民への説明、国際的な共同行動が原則になろう。例えば日本・韓国・中国・米国の首脳が一緒に南京、パールハーバー、広島、ナヌムの家(ソウル郊外にある元慰安婦が共同で暮らす施設)を訪れる。そして、それぞれの生存者の前で、悲劇を繰り返さないことを宣言する。そうした共同行動を提案すれば、各国政府も自国民に説明しやすい。50年代からの日韓間の交渉経緯を公開するのも一案だ。困難ではあるが、新時代への適応は必要だ。
(朝日新聞 2014年8月6日付紙面より 小熊英二氏のコメント)
赤字ボールドの部分は特に強調したい。軍人や役人が直接に女性を連行したのでなければ日本には責任がないという議論は、世界では通用しないのだ。ところが、日本においては小熊氏のいう「保守派」にとどまらず、リベラル気取りの人間までもが小熊氏のいう「保守派」に唱和する愚論を平気で発している。たとえば、他ブログのコメント欄からの無断引用で申し訳ないが、こんなことを書く「自称リベラル派」がいる。
自称リベラル勢力が社説や党見解として、戦争の加害者責任や平和を訴えるのは、当然のことです。好戦的な安倍首相や産経が反省しない異常なだけです。その異常な政権がなぜ支持率が高いのか。朝日・毎日や社民・民主が偽善者で、市民から嫌われ、偽善者が批判する安倍内閣に支持が流れているからでしょう。慰安婦調査についての福島前党首のウソもネットでさらされていましたし、なぜ偽善者たちは自らの行為に「ごめんなさいといえないんですか?」。いっそ朝日や社民が自民支持にまわってくれた方が、真のリベラル平和勢力にとってありがたい。
まがりなりにも(たとえエセでも)リベラル平和を主張する人が、無批判で朝日や民主・社民などを支持すればするほど、安倍自民を図に乗らせ、フツーの市民を右に誘導するのだ、ということを自覚した方がいいと思います。
慰安婦問題に熱心だった人たちが、真夏に冬眠に入ってしまったことも、フツーの人は白眼視してます。沖縄密約同様、いまこそ徹底的な検証をすべきで、真実を白日の下にさらすべきです。知りたいのは真実のみです。
おそらくコメント主は「右の安倍晋三や産経と、左の朝日・毎日・社民・民主(!)を両方叩くボクちゃんこそ『中道』なんだよね」などと思っているのだろう。彼(彼女かもしれないが)は、安倍晋三が政権に返り咲いて早々やろうとした「河野談話の否定」が、なぜアメリカにストップをかけられて安倍晋三が「河野談話の継承」を約束させられたのか理解していないに違いない。産経・読売や週刊新潮・週刊文春だけではなく、週刊ポストも週刊現代も朝日を叩いているから、ポストや現代が中道で朝日は「左翼偏向」なのだろうと安易に類推でもしているのではないか。だが、上記コメント主の物差しで計れば「アメリカも左翼偏向」(!)ということになってしまうのだ。
週刊ポストや週刊現代は、それこそコマーシャリズムに基づいて、40〜50代の男性サラリーマンの平均的なニーズに応えてあのような誌面を作っているのだろう。しかしそれは日本の世論が国際標準(グローバル・スタンダード!)から大きく右に、というかナショナリスティックな方向に逸脱しつつあることを反映するものだ。これは、日本にとって危機的な状況だと思う。かつて晩年の森嶋通夫が、日本の国力が衰えた時に中国や韓国を敵視する言論が強まり、それがアメリカなど世界各国の日本からの離反を招くと予言したが、森嶋の予言が現実のものとなりつつある。
河野談話に代わる新しい官房長官談話を要請した高市早苗と、高市に同調した自民党の政治家たちも、バッカじゃなかろうかと思う。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140821/k10013977241000.html
慰安婦問題で新たな官房長官談話要請へ
自民党の政務調査会は会合を開き、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って、朝日新聞が一部の記事を取り消したことなどを踏まえて、戦後70年となる来年、新たな官房長官談話を出すよう政府に要請することを決めました。
朝日新聞は、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡る自社のこれまでの報道を検証する特集記事を掲載し、この中で「慰安婦を強制連行した」とする日本人男性の証言に基づく記事について、「証言は虚偽だと判断した」として記事を取り消しました。
これを受けて、自民党の政務調査会は、政府がことし6月に従軍慰安婦の問題を巡り謝罪と反省を示した平成5年の河野官房長官談話の検討結果を公表したこととも合わせて対応を協議するため、会合を開きました。
この中で、出席者からは「朝日新聞の関係者を国会に招致すべきだ」という意見や、「河野談話の検討結果を国内外でしっかりと情報発信すべきだ」という指摘が相次ぎました。
そして、戦後70年、日韓国交正常化から50年にもなる来年、新たな官房長官談話を出すことなどを政府に要請することを決め、高市政務調査会長が、来週にも菅官房長官に申し入れることになりました。
(NHKニュース 2014年8月21日 17時59分)
リンク先のNHKニュースで、高市早苗のドヤ顔を拝むことができるが、本当に無知で下品な女だと思う。12年前の田原総一朗の発言は正鵠を射ていた。高市は、なぜ安倍晋三がたびたび「河野談話を継承する」と言わされているのか全く理解していないに違いない。本当に馬鹿な女である。
私は最近、「良いナショナリズムも悪いナショナリズムもない。ナショナリズムには百害あって一利なし」という意見に大きく傾いている。2008年の世界金融危機で示されたように、資本主義の暴力性はもはや制御困難になりつつあり、フランスの経済学者トマ・ピケティが「所得と資産の両方に国際協調で累進課税をかける」と提言した本『21世紀の資本(論)』がアメリカでベストセラーになっている。つまり、もはや国民国家のレベルの税制で再分配を行おうとしても、富裕層を優遇する税制の国(たとえばロシア)に金持ちが逃げたり、世界各国の政府が法人税引き下げ競争をしたりしている現状に阻まれてしまうのである。
だから、韓国や中国のナショナリズムも時代後れだと私は思うが、それを招いたのはほかならぬ日本である。日本は1945年まで韓国を植民地として支配し、中国に侵略戦争を続けていた。日本の敗戦でようやくそこから脱却した中国や韓国が、先進国からずっと遅れてナショナリズム全盛になっているのであろう。本来なら、日本はとっくにナショナリズムから脱却して資本主義の暴力性に対する国際的強調を伴う対策の議論をしていかなければならないくらいのポジションにいるはずなのに、かつて韓国や中国に対してなした悪行を棚に上げて、ナショナリズムにはナショナリズムで対抗しようとする愚かな言論が世論を支配している。そんな「新興衰退国」日本の現状は「みっともない」としか私には思えない。経済の問題でも、日経新聞を読んでこれまた時代後れの新自由主義的経済思想にかぶれる「エリート」たちが後を絶たないのだからどうしようもない。
最後に朝日新聞の従軍慰安婦記事検証問題について、私の意見をまとめる。こんな問題で世論が朝日新聞批判一色に染まるようでは、日本の将来はきわめて暗い。昔、安全保障問題で竹村健一が「右」から世論を批判して言った決めゼリフ「日本の常識は世界の非常識」に私は共感せず反発したが、人権問題に関しては「日本の常識は世界の非常識」は間違いなく今の日本に当てはまる。
- 関連記事
- 朝日・従軍慰安婦報道問題の「日本の常識は世界の非常識」 (08/25)
- 北朝鮮で張成沢が「粛清」された日、谷垣禎一も死刑を執行 (12/16)
- 「土建国家」をどう作り変えるか(井手英策氏の論考より) (02/18)
「新興衰退国」という表現にのみ、異を唱えます。
「発展途上国」はdeveloping countryの訳語ですから、declinig countryは「衰退途上国」か「後退国(「後進国」よりもっと悪い。後進国は遅れているだけで前進傾向にはあった)とでも呼ぶのが相応しいかと。
2014.08.25 09:55 URL | ヴォロージャ #mQop/nM. [ 編集 ]
トラックバックURL↓
http://caprice.blog63.fc2.com/tb.php/1357-7c6ccef1